茶番劇

なんとかなると思っていたのでしょう。
えっ、なに、名古屋市選挙管理委員長の伊藤年一さんの事ですよ。
何が何でもリコール不成立に持って行きたかったのでしょう。最早常軌を逸していたと言うしかありません。「何が何でも議会側が有利なように。」とあの手この手で成立し難いような手立てを講じ、これで安心とでも思っていたのでしょう。最後の最後に大どんでん返し。普通なら有り得ない事が起こってしまいました。河村さんの支援団体及びリコールに署名した市民を見くびっていた結果です。嘗てこれほど市民が精力的に動いた事はありません。いわば21世紀の快挙です。
「市民なんてわざわざ手間のかかることなんてする訳が無い、それも短期間の内に。」こんな考えの上でずっとあぐらをかいてきたのですが、それが通用しない世の中に変わりつつあると言うことでしょう。
今回の事で多くの事が明るみに出てきました。選管なんて有名無実、4名中3名までが市議会OB。公平性に疑問がある上に今回のような言わばごり押し的なやり口。これで全く公平性が無い事が証明されてしまいました。議会改革と同時に選管改革も市民の要求するところとなるでしょう。
この茶番に要した費用、伊藤さんが負担すべきと思うのは私ひとりでしょうか?
訴訟社会の米国ではこのような事があると必ず市民団体から損害賠償訴訟が起こります。当然空転した市議会、市政の予算分も日割りで要求されます。だから皆自己防衛の為にも常に市民にとって何が最重要であるかを念頭に行動するのです。市民への奉仕など全く頭にない議会、選管であったことがこの事からも解かります。
そして今日の夕刊には民主党の某氏が市長選に出馬との記事。その言に「河村さんのやっている事は民主主義の否定だ。」とか。それも言うなら「既得権にしがみついている者の否定だ。」でしょうに。それに民主主義は手段であって目的ではありません。目的は【より良い市民生活の実現】です。これが行われるのであれば別にファシズムでも共産主義でも構いません。


名古屋市民ではない私ですが、この流れが近隣の我がT町にも影響してくれる事を願っています。T町の町政もおよそガバメントらしさなど皆無です。昔ながらの土地の名士(地主)が名ばかりの議員さん町長さんをやっているだけです。いかにすれば町の経済が活性化できるか、そして町を将来どのように発展させたいか、そんな展望など皆さん全く持ち合わせておられないようです。
政治に関わろうという者が、それに対して報酬を受取ろうなんて思う事自体が諸悪の根源ではないかと思います。謂わば政治を商売にするから私利私欲に駆られるのです。食うに困らない資産をお持ちの方が滅私奉公の精神で政治を行うのが本来あるべき姿ではないかと考えます。給料貰ってやるんなら役人と同じじゃん。その役人もどきが寄り集まって自分達の給料を決めてたんじゃ世の中の常識から逸脱して当然。アップルの経営危機をV字回復させ空前の企業価値に高めたスティーブ・ジョブスさん、あの人ってアップルから年間1ドルしか報酬を貰ってないんですよ。実質的には無報酬であれだけのことをやっている訳です。政治家こそかくあるべきと思うのですがねえ。


名古屋市議会が非常識である事は周知のとおりですが、河村さんから「名古屋市をこうしたい。」という声が聞こえてこないのも寂しいですね。とりあえずは市議会の大掃除と選管の大掃除に励んで貰えばよいのでしょうが、本当に重要なのは【より良い市民生活の実現】なのです。
もう何十年も前ですが、M大教授の本山さんが名古屋市長になった事があります。M大の学生さん達はもちろんのこと、K党S党M党などが一緒に担ぎ上げ保守J党から政権奪取したまでは良いのですが、ポピュリズムに走りすぎた所為か長きに亘り名古屋市政を停滞させてしまいました。本来庶民というのはバカばかりなのです。バカの言う事ばかり聞いていたら良くなる訳がありません。造りかけだった市の高速道路も中断し長年ほったらかし。なんとまあ無駄な事でしょ。
国政のM党の政権奪取後の八ツ場ダムの高架道路の様子、歴史は繰り返すと言いますがあれは紛れも無い数十年前の名古屋市内と同じです。
古きを尋ねれば今なにをすべきか、将来どうあるべきかが見えてきます。
河村さんには本山さんの轍を踏まない事を望みます。


ほんと、なにもかも茶番ですなあ。