よしなしごと その2

先週の初めに喪中案内が来ていました。「いよいよ年賀状の準備の季節だなあ。」と見ていると、内1枚はIからのもので御母堂様が亡くなられたとの事でした。Iは学生時代の悪友(親友)でよく彼の家に泊まりこみ、お母上にはひとかたならぬお世話になったものです。まるで家族であるかのように夕食の膳につく事も数え切れないほどでした。
その団欒の中で人生の大先輩である彼のご両親からいろんな事を教えられたものです。
Iの母上は松本出身で戦時中は夫婦で中国に居たそうです。信州の人というと私の中では凄く先進的かつ立派な人が多いというイメージがあるのですが、彼の母上もその一例のように思います。中国で現地の人々と直接接していた所為か、考え方があの年代の一般の人達より凄くインターナショナルであった事もよく覚えています。先進的というよりも、人との繋がりの根底に必要ななものは【優しさ】である事を体得していたのだろうと思います。口で言うだけなら簡単な事ですが、どれだけそれを理解しているか? それは私なぞ想像できない実体験により裏打ちされた結果もたらされるものなのでしょう。
家庭の愛情に飢えていた私にとって彼の家はとても居心地が良くついつい居付いてしまったものです。
就職して入り浸りになる事は減ったものの、事ある毎によく出入りしていました。
仲間内の全員が結婚し私だけが取り残された形になった時の事ですが、Iの一家全員からも早く相手を見つけるよう集中攻撃を食らった事があります。私の事を思えばこその集中攻撃であることは私自身にも判ります。
その時今のかみさんの事を漏らしてしまいました。私の中ではまだ踏ん切りがついていない時期でしたが、「親代わりに私が相手方に挨拶に行ってあげる。」お母上のこの言葉に後押しされて気持ちを固めたようなものです。例え他人でも縁あって接するようになった私。この私の為になるのなら出来る限りの事をしてあげよう。この人に対する優しさはIの家系のDNAでもあります。


昨日の御在所通勤の帰り、お線香を上げさせて貰おうとIを訪ねました。思い起こすとなんと七年ぶりの事でした。あの時はお母上もまだ元気で、久しぶりに会った私を懐かしんでくれたものです。
久しぶりに上がりこんで長話。普段職場と家との往復しかしていない、世界の狭い私にはIとの久しぶりの会話には、ハッとさせられる事ばかり。
店を構えお客さんと接しながら生きている彼の言葉には真実の重みがあります。詭弁を含んだ綺麗事を言い、それが半ば日常化している私には改めねばならぬ事ばかりが脳裏に過ぎります。
彼のPCが置いてある所には「○○(彼の店の屋号)の願い」と題した箇条書きの文章が貼られていました。社是、或いは経営理念と言われているものです。
日々これを読み返しながらお客さんと接しているのでしょう。一般的な経営書などに記されたものより文章は平易ですが感じられる重みが全く違います。これには彼自身の経験から滲み出た哲学が感じられます。
暴利を貪ろうとしながら思うに任せない今の世相とは全く次元が違います。「食っていければ良い。」彼の言葉がそれを物語っています。食っていく=継続可能 この範囲内でより良い社会貢献に努める。これが本来の社会の姿だと思います。暴利の後には必ずしっぺ返しがくるものです。
やはりI家のDNAは脈々と引き継がれていました。