貧困層、みんなでなれば恐くない。

今日の土曜日は久しぶりの休養日。
寝起き読書の後、起き出すとS司が「○時にN駅まで送っていって。」
「おう、よっしゃよっしゃ。どっか行くんか。」夕べは珍しく日付が変わる前に帰宅し、なにやらゴソゴソとやってました。
「うん、ちょっと…。」言葉を濁しています。しつこく問い質すのは止めておきます。
それまでに一仕事。新聞に目を通し、車を洗い、メールチェック。
時間になってもまだなにやらゴソゴソやっています。そして指定時刻より30分遅れでやっとでっぱつ。相変わらず名古屋時間です。(決めた時刻より遅れて当然なようにふるまう人及びその決めた時刻を名古屋時間と言います。)
そして車の中でもう一度尋ねると極まり悪そうに「温泉。」確認はしませんでしたが、もしかして彼女と? いや問い質すのが恐かったのか?
全く何をやってんでしょうね。これでドクター取れるんですかね?
夕べかみさんが言っていた事がこれで合点が行ったような。曰く「もうS司は駄目だわ。一生プー太郎だわ。」
ポスドク難民どころかプレドク難民ですわ。一生定職にも就けず貧困層に分類される事になるのでしょう。
S司のようになるべくしてなる貧困層もいれば、突然意図せぬ出来事から貧困層に仲間入りしてしまう人達もいます。不運と言えば不運なのでしょうが、それまでの暮らしから頭を切替えられない事や勝ち組の人達と比べてしまう事が心を滅入らせてしまう原因ではないかと思います。貧しいもの同士助け合える環境がないのが問題なのではないでしょうか。私の子供時代、戦争の爪痕が色濃く残っていた時代は皆が皆一様に貧しくお互い助け合わなければ生きていけない時代でした。羨むにも羨む相手も近所にはいません。返ってこの状況が人々を逞しくしていたのかもしれません。


一昔前に流行った言いまわし、「赤信号、みんなで渡れば恐くない。」
これを真似て、「貧困層、みんなでなれば恐くない。」


米国の貧困層が7人に1人だそうです。この日本もいずれ…。
ただ米国は毎年大勢の移民を受け入れており、その殆どが貧しい国から夢を求めてやってくる人達です。
私が初めてシカゴのオヘア空港に降り立った時、イミグレが混雑しておりその最後尾につき並んでいました。我々の風体から変だと思ったのか、空港の職員が尋ねてきました。そしてそこの窓口が移民用であることを教えてくれ、一般の窓口に案内してくれました。こちらは全く行列などありません。人が多く並んでいるからそこが窓口と思い込んでしまったのでした。
偶々だったのか、この時は特別だったのかは解かりませんが、移民専用のイミグレがありこれだけ多くの人々を受け入れているアメリカってやはり懐が大きいです。それが先進国の中で唯一出生率の高さを誇る理由となっています。同時に貧困層の多さの原因にもなっています。
元々が生活に困窮し祖国を捨てた人達です。米国の貧困層に分類されても自らを哀れんだり希望を失っている訳ではありません。それらの人々はその人達でコミュニティーを造り助け合いながら生きています。そして皆がアメリカンドリームを夢見て頑張っています。
比べて今の日本、なまじ物が豊かになってしまったばかりに大抵の人は生活に困ってはいません。ただ何かあったときの不安は皆が持っています。前述のように、戦後は周りの人全てが貧しくお互い助け合わなければ生きていけない状況でも安心感がありました。私はまだ子供でしたが周りの大人達を見ても今ほどの閉塞感はなかったように思います。なまじ物質的な豊かさを手に入れてしまったばかりにそれを失う事を恐れているように見えます。
いざとなったら思いきって見栄を捨て貧しくとも皆で助け合う生活に戻りさえすれば、この閉塞感も和らぐのではないでしょうか。
綺麗な衣類を身に着けても、旨いものを食べても、立派なお屋敷に住んでも、心の貧しさは満たせません。心の糧はそんなもので得られるものではありません。
今一度日本国民全てが戦後の貧しかった頃の気持ちに立ち戻る時が来ているように思います。
くどいですがもう一度。「貧困層、みんなでなれば恐くない。」