高齢者医療

帰宅すると爺さんが退院していました。
3月末に転倒し肩を脱臼して以来全く食欲が無くなり、近所の医院で毎日点滴を受けそれが唯一の栄養源となっていました。
いくらなんでもこのままでは埒か開かないと、先々週の土曜日に市内の病院に検査入院させたのでした。
それが一週間余りで食事も摂れるようになり、以前ほどではないにせよある程度の事は自分で出来るようになりました。さすがは総合病院です。
なんでも副腎皮質の機能が低下しておりその所為でホルモンが分泌されず吐き気をもよおしていたそうです。そういえば以前から皮膚科に通っていましたが、皮膚の湿疹も副腎皮質ホルモンの分泌が少なくなっていた所為でしょう。
とりあえずは外部からの投与で元気にはなっていますが引き続き原因調査中で、次は脳下垂体をMRIで調べるとの事。
かみさん曰く「昔ならそんなこと解からずに原因不明のまま衰弱死してたんだろうね。」
全く同感です。それにしてもまるでVIP待遇ですね。今のお年寄は皆が皆こんなに手厚い診療を受けているのでしょうか。
たしかにハイレベルな検査のおかげで元気になった事は有難い事です。しかし全ての老人にこれほど手間暇、いやお金をかける事が本当に良い事なのかどうか。不謹慎な言動であることは充分承知してはいるもののなにか釈然としません。
十数年前に読んだ本の内容が思い浮かびます。レーガノミクス真最中の時代の米国で、行き過ぎとも言える規制緩和に異を唱えていた人の著述ですが、その中で全くこの事と同じ状況を憂いていました。
一部の高齢者の医療に膨大な予算を充てている一方で、医療保険に加入すら出来ない低所得者層の子供達がまともな医療も受けられず大勢死んでいます。
その後クリントン大統領の時代に奥方のヒラリーさんが医療保険制度改革を進めようとしましたが結局頓挫。現政権のオバマさんがなんとか進め始めていますが落着く先はまだ不透明です。
日本の場合は米国よりはまだましかもしれませんが、現状のままでは保険制度そのものが立ち行かなくなるところまで来ています。
いかに命はかけがえのないものとは言え、限られた保険料で最大効果を上げるには思いきって捨てるべき所は捨てる勇気が必要です。今まで社会に貢献してくれた老人達ですが、幼い命を犠牲にしてまで生き永らえようとは思わないでしょう。しかしその判断を医療従事者に委ねるのも酷な事です。
「もう充分生きたから無駄遣いは止めてその費用を子供達に回してくれ。子供達こそ将来の社会を担う原動力なのだから。」死期が近付いたらこう言ってみたいですね。
何も出来ないからと薮呼ばわりしていた町医者ですが、案外こんな事が頭の中にあって不要?な検査を強要しなかったのかもしれません。