学際城下町

≪還暦を 過ぎて夫婦で パート勤め ポスドク息子を 未だ養い≫


還暦を迎えたら日記にでも記そうかと用意しておいた川柳です。
正確には、家のS司はまだポスドクにもなっておらず、その予備軍です。そして私自身、定年後どうするかまだ決めていません。
年金生活も良いかなあ。」と言うと、「食って行けん。」とかみさんに一蹴されました。
食う為とボケ防止の為にも働き続けるより方法は無いようです。
そんな事もあって、昨日所用で休んだついでに職安へ行ってきました。
Netで調べると、N市に名古屋東職安の出張所があり、我家から近いし車で行ってもOKです。
長いこと生きてきましたが、初めての経験で勝手が解りません。
入口近くに検索用のPCが4台設置してあり、その奥に相談窓口があります。番号札を受け取るよう張り紙に記されていたので、まず番号札を貰いました。
暫く様子を見ていると番号札の順番に従ってPCで求人情報を検索しているようです。とりあえずは未だ求職の必要が無く、どういったシステムになっているのか、あるいは中高年の求職状況がどんな様子なのかの概略窺いに来ただけなので、カウンター内の人にその旨を話すと、相談窓口で職安のシステム的な流れを説明してくれました。
それによると、まず検索機で案件を探し該当案件をプリントしそれを相談窓口へ提出し紹介を受けるようです。ひとりひとりの職歴、能力に合わせ紹介するものかと思っていましたが、そんな手間のかかることする訳ありませんね。そして一般的には定年後の仕事はパートが主流で、主婦が就いているような職種、時給だそうです。
案件自体はNetでも見れるので、下調べしておいてその案件を検索機で検索しプリントアウトするのが手っ取り早いようです。
まあ様子も解った事だし早々にお暇しました。
帰ってからかみさんに様子を話すと、「そんなもんでしょう。今時どこにも仕事なんてないよ。」と一言。最初から解っていたようです。それでも自分で確認してきたという事で納得。
仕方がない、定年後も今の職場で嘱託で働き続けるしかないのか。第二の人生、もっと違う事をやりたかったなあ。


ところで家のS司君、今後どうするつもりなんだろう。とても社会人として会社勤めが出来るとは思えません。学校で助手をしながらでも食べて行ければ良いのですがそれも難しいようです。【ポスドク難民】という言葉もあるように、定職に就けず年金も払えず、中には奨学金の償還も出来ずにいる人もいるとか。結婚?それどころじゃないでしょ。ヒモになるなら別ですが。
元々S司には欲がなく、高学歴=高所得を期待していた訳ではないのですが、それでも食べていけないほどに窮するとは思っていなかったでしょう。結局我々両親が死ぬまであの子を養って行く事になりそうです。パートでも何でも働ける内は働かないといけないようです。そう、我儘なぞ言っていられる状況ではないのです。
しかしもったいない話です。今まで身に着けてきた教育が生かせないという事は。
このままでは家のS司に限らず、多くの人達がこの日本を見限って海外へ逃げ出す事でしょう。研究の為の環境、生活環境全てにおいて今の日本は最悪です。最低限の慎ましい生活でさえ研究者に用意されていないのですから。
昨年秋に「民主党に陳情に行く。」と言ってましたが結果はどうだったのでしょうね。そうです、事業仕訳の頃です。学問のような将来の飯の種を削っていてはこの国に未来はありません。そんな事も解らない人達に政権を委ねてしまったのは私達なんですね。(私個人はそんな事していませんが)
私達もS司と一緒に海外へ逃げ出しましょうかねえ。「預金を外貨に替えとこ。幸い今は円高だし。」
今の政権にほんの少しでも将来を思い描く力があったならなあ。目を外に向ければお手本なんていっぱいあるのに。
筑波のような学際都市を全国に設ければその知識を求めて多くの企業のR&D部門がそこに集まります。当然それにつられ企業本体やその関連企業も集まります。お金と同じで知識・情報も寂しがり屋さんなのです。だからそれがあるところへ集まります。マイケル・ポーターさんの言うところのクラスターやリチャード・フロリダさんの言うところのクリエイティブクラス達です。ハーバード大やMITのあるボストン、カリフォルニア大バークレー校やスタンフォード大のシリコンバレーなどはその代表例です。
まるで楽市楽座を奨励した城下町のように経済が発展します。名付けて【学際城下町】。うん良いネーミングだ。
その学際都市、二流の学際では駄目なんです。一流でなきゃ。蓮舫さんには特にしつこく訴えたいですね。二流のところへなぞ誰も寄って来やしません。