野沢温泉

未明、寝苦しさに目覚める。
身体の節々に鈍痛。これは…、筋肉痛だ。
そうか、昨日は3週間ぶりの御在所通勤。年寄りってすぐ身体が鈍るものなんだなあ。
そういえば夕べも睡魔に負けて、記事のアップを途中で投げ出し早々に床に就いてしまったのだった。久しぶりの疲れと、いつもより若干多めのビールの所為で眠気を催したようだ。と言っても350mlが633mlになっただけの事なのだが。
この程度の事で筋肉痛とは。いやはや軟弱な身体になったものだ。
外はまだ暗い。時刻はまだ4時を回ったばかり。さあもう一眠り。


朝、かみさんが言う。「S司がスキーの板を学校へ運んで欲しいと言ってたよ。」
こちらが起きているかどうか確認もしないまま一方的に言う。毎度の事ながらマイペースなやっちゃ。
しかし今日は忙しいなあ。昨日の記事のアップもしなきゃならないし、床屋も行かなきゃならないし、喫茶店で漫画の読み貯めもしなきゃならないし、枕元の本も読まなきゃならないし、Faxのインクリボンも買ってこなきゃならないし、etc. etc.


しかしS司がスキーなんて珍しいな。D大卒業後は全くやっていない。もう3年もやってないじゃないか。
板は手入れしてあるから問題無いとは思うが4シーズン前のワックスで固められた板である。まあいいか、どうせ研究室仲間との遊びだろうし。
かみさんの話ではレンタカーを借りて野沢へ行くらしい。
バスツアーの方が楽かと思うのは我々年寄りの発想なのかもしれない。気の合った仲間同士で気軽にあちこち寄り道しながらがまた楽しいのだろう。まあ高速使えばあっちゅう間だし。
「野沢かあ、良いなあ。」かみさんも羨ましそうに言う。しかし我々親が羨むのは最早スキーではなく温泉なのである。野沢には共同浴場が沢山ありそれを巡るのが楽しいのである。なんたって入湯料がタダって言うのが我々まるビ一家には最高なのである。(今はどうかな?もしかしたら有料になっているかも)
あっ、変な事思い出してしまった。
これらの浴場の脱衣場ってどこもコンクリート打ちっぱなしの上に木製のすのこが敷いてあった。そのすのこを上げると下に小銭が結構落ちているのである。すのこの隙間から100円玉を落としても混んでいる時など誰もすのこを上げてまで取ろうとはしない。スキー最終日などは昼には切り上げてしまうので浴場はガラガラに空いている。その時間帯を狙い我家の子供達はお小遣い収集作戦を展開、回れるだけ回って頂戴して来るのである。
えっ、それを注意しない我々は両親失格だって?
いえいえこれも社会勉強。こうやって子供達は処世術を身に着けて行くのである。杓子定規に禁止しても意味は無い。子供達自信もあまり褒められた事でない事くらい充分承知している。社会通念上どこまでが許されてどこまでが許されない事か、その辺を身を持って学んでいるのである。幼い内にこういった事を経験していない者が大人になって常識から逸脱した事をやらかすのである。子供の内の些細な悪行無くして常識を備えた大人になるなんてことは絶対に無理である。


そうそうT哉が膝靭帯を切ったのもここ野沢だった。他所の大人にぶつけられ、痛いのを我慢しながら降りてきたのだった。その場でパトロールを呼べばスキー場の負担で済んだものを。まだ小学生の子供ではそんな事は思いもつかない。結局我々両親が村の診療所へ連れて行き診察してもらったのだった。その後は親が交代で宿でT哉に付きっ切り。帰宅後は我家御用達のI整形外科へ。いきなりギプスを嵌められT哉はそのシーズンを棒に振ってしまった。I整形外科には家族全員がお世話になっている。こんな一家も珍しい。
I整形外科に厄介になる度なにがしかの保険金で負担は補われていた。家族全員がスポーツ障害保険に加入していたので。この辺りのかみさんのマネジメント能力は大したものである。


野沢に限らずどこのスキー場にもそれぞれの思い出がある。普段はきれいに忘れていても、なにか事ある毎にその思い出が甦ってくる。以上の話以外にもかみさんが昔の山仲間に出会った事、かみさんの友達とご一緒したこと等々なんやかやと次々と思い出される。それだけ遊びまわっていたって事かな? よくもまあお金が続いたもんだ。