Iさん

Iさんが亡くなった。御歳69歳。
始めてお会いしてから40年近くなるのか。
今の会社の見学の時にわざわざ学校まで迎えに来てくれたのがIさんだった。地理的にかなり辺鄙な所にあり車で無いと身動きがとれない。その送迎途中でのなにげない事が妙に印象に残っている。
坂路で停車中、クラッチとアクセルを加減しながら停まっていた。「車好きな人だな。」が第一印象。当時免許取立ての私には坂路発進は苦手だった。サイドブレーキも引かずエンジン回転と半クラッチでバランスをとりながら信号が変わればいつでも発進できる。当時の私の目にはまるでレーシングドライバーのように映った。
社長への挨拶(結局これが面接だったようだ。)と見学を終え、帰りもIさんが学校まで送ってくれた。
その帰り道、「もし当社に就職するのなら、今の内に彼女を作っておけよ。うち(当社)には女っけなんて無いからな。結婚できなくなっちゃうぞ。」冗談とも本気ともとれるようなIさんの言葉を思い出す。
就職後は直属の上司となり、色々な勉強をさせて頂いた。当時は特注品ばかりを作っており、設計どおりに製品が動いてくれず、迫る納期にプレッシャーを感じながらも仕事が深夜に及ぶと「おい、ビール買って来い。」
そしてビールを飲みながら原因究明で夜明かし。今となっては古き善き時代の思い出です。
酒好きで一緒に飲む機会もよくあり、その度に垣間見た意外な一面。普段は気付かなかったがその思想に触れ大きな影響を受けた。
およそ今まで生きてきた中で、Iさんほど確固たる信条を持った人に出会った事は無い。信心深い人で宗教的なものには馴染む事はできなかったが、今にして思うとその信仰心がIさんの信条や思想の大元になっていたのかと思う。
いや、昔はこんな人がどこにでもおり、それに感化され皆がモラルを維持できたのではないかと思う。そういった人達が少数派となり、今で言うコンプライアンスの欠如に繋がっているような気がする。
無神論者の私にはどうしても理解できない事だが、欧米人には敬虔なクリスチャンでありながら論理的な科学者が多い。その存在を証明する事なぞ不可能な神と、論理的な科学との折合いをどう付けているのだろうか。Iさんのご存命の間にその辺りの事を尋ねておけばよかったのだが、今ではそれももう出来ない。
Iさんから受けた影響は計り知れないものだが、実際に私がIさんと仕事をしていた期間は意外に短かった。
若くして独立し同じような業種で起業したのだった。そして年の離れた(かなり年長の)方と結婚されたと聞いていた。
私にも経験があるが、幼い頃に母親を知らないで育つと年長の女性に引かれるようだ。どうしても女性に母性を求めてしまうのだろうか。そして十数年の後にその奥さんに先立たれたと聞いた。子を為すでもなく寂しい人生だなあと想像していた。
今日のお通夜で喪主さんが女性である事からIさんが再婚されていた事を知った。その横にはまだ小学生の男の子。
紆余曲折はあっても、子供を設け人並みの幸せを味わっておられた事に何故か気が和らいだ。初婚が回り道だったと言っているのではない。Iさんにとってはいずれも無くてはならない人生のひとコマだったに違いない。ただもう少し子供が大きくなるまで生きのびていたかっただろうに。
Iさんは四国松山の生まれ。体重が足りず防衛大に入れなかったという話をよく聞かされた。松山生まれの人はIさんのように自分の思想や信念を持った人が多いのだろうか。いま「坂の上の雲」が流行りだそうだ。秋山好古、真之兄弟も松山生まれである。
「世の為、人の為に自分は何を為すべきか。」これをいつも自分の行動の基準としている人々が彼の地の出身者には多いのだろうか。
思想も世襲するものである。血縁だけに限らず、その地域全体で世襲して行く。そういった思想が県民性として現れるのかもしれない。
確固たる思想、信条を持ちながら、時としてお茶目な一面を持ち、また頑固であったり激高しやすかったり。あのIさんはもういない。
膠原病だったという。いきなり発症する厄介な病だ。最近は周りでもよく聞くようになった。そういえば私の姉もベーチェット病だったんだ。本当に人の命なんてあっけないものだ。本当に簡単に死んでしまうものである。かく言う私もいつポックリ逝ってもちっとも不思議ではない。
斎場正面にはにこやかに微笑んだ人懐っこいIさんの写真が飾られていた。何年か前にお会いした時と同じ顔で。