友を選ばば

書を読みて、六分の侠気、四分の熱。
などと言う気は毛頭ございません。


今S司は福岡へ行っています。明日の夜セントレアに迎えに来て欲しいとの事で、かみさんとお出かけ。ついでに食事でもして風呂にでも入って来ようかなどと言っています。子供のお出かけと比べ、本当に世界が狭い我々夫婦です。
修士課程の時の友人の元へ遊びに行っているのですが、D大時代の友人、今の学校の友人、と多くの人が全国各地に散らばり、遊びに行く先に困らないようです。
元々S司には自ら人の中に入って行けるほどの積極性は無く向こうから近付いてきたら付き合う程度で、お兄ちゃんに比べて本当に友達が少なかったのです。お兄ちゃんもどちらかというと同じような性格でしたが、どういう訳かかなり目立つ存在で寄って来る人が多かったおかげもあり多くの友人に恵まれていました。またいろいろな教室などを通じて学校以外の友人もかなり居ました。
お兄ちゃんに比べ魅力に乏しいS司には寄って来る人も居らず、ほんの数人とばかりいつも遊んでいました。それも落ちこぼれの三人であった所為かクラスの人達からは三バカトリオとか三羽鴉とか呼ばれていたようです。
そして学校外の教室ではいつもお兄ちゃんのコバンザメ。おかげでお兄ちゃんの友達から可愛がられていたようです。
高校へ入ってもやはり友達は一人か二人。ただそのお母さんとかみさんが仲良くなりかなり親密なお付合いとなっていたようです。広く浅くでなく狭く深く、だったのかもしれません。
典型的なGoing my way人間のS司に合わせられる相手が少な過ぎたとも考えられます。
そして大学は親元を離れ一人暮らし。さぞかし孤独な生活をしている事だろうと想像していたら全く真逆だったようです。どうもD大に行く連中というのはS司のような性格の人が多いようで、学業と遊びの境目など無く研究室に入り浸り、寝るのも研究室の床に毛布を敷いて。部活でも全員がおバカな事ばかりやっていたようです。
親の知らない内に自分の世界を創り、そこで多くの知己を得ていたようです。
こちらに帰ってきてからもD大時代と同じ生活パターン。研究室に入り浸りでお泊りもしょっちゅう。
それでそのご学友諸氏はと言うと、S司とは全くの真逆のお悧巧さんばかり。そのお悧巧さん達がおバカなS司をちゃんと立ててくれています。それぞれが自分に無い物を持っている事を認め合っているかのようです。
こうしてみると、「書を読みて、六分の侠気、四分の熱。」などと型に嵌った基準など何も用を為さないのではないかと思えてきます。
「型に嵌らず、自らの考えを持ち、多様性を認め合える者。」これこそ友を選ぶ基準ではないかと思う次第です。
書なんて読んでいてあたりまえ。読む読まないを基準にするなんてそれこそ偏見ではありませんかねえ。侠気、情熱を別物として6:4の比率にする、なんていうのは与謝野鉄幹の軽薄な考えのように思ってしまいます。侠気、情熱なんて別次元のものです。100%の侠気に100%の情熱も充分ありえます。


お土産は福屋のめんたいこ。炊き立てご飯にめんたいこ。これでまた暫くの間、メタボ警報のアラームが点灯しっぱなしとなります。
まっ、いいか。旨いもん食って早く死のう。