悲しくてやりきれない・・・フォークル

高校二年だったか三年だったか、深夜放送でとんでもない曲が流れました。
テープレコーダーで録音したものを再生速度を速めてやると甲高い声に変わります。周波数が2倍になるのだから1オクターブ上がって当然です。遊びでは皆さんよくやっていたと思いますが、放送やレコードでこんなものを流すとは、いささか驚きでした。いや、その手法だけでなく歌詞自体が全くふざけた内容で、型に嵌った考えに囚われていた我々にとってとんでもない衝撃でした。同時に「こんなんでも有りなのだ。」とそれまでの常識を覆されそれもまた大きな衝撃でした。
もうお解かりでしょう。フォークルことザ・フォーク・クルセーダーズの「帰って来たヨッパライ」です。
最後のお経にかぶせてビートルズのハードデイズナイトが流れていたのも面白いものでした。
かと思えば、「ズートルビ」なる名前で登場し、ベートーベンの田園のメロディーで「水虫の歌」を披露。途中でその「ズートルビ」の正体がフォークルであることをばらすなどと全く当時の常識をぶち壊すハチャメチャぶり。
かと思えば冒頭の曲のような至極真面目なもの、「イムジン川」のような平和を祈るようなものも発表していました。「イムジン川」は当時の政治情勢から放送禁止となってしまった事は皆さん記憶に残っている事と思います。


そしてこの曲の作曲者であるフォークルのメンバー加藤和彦氏が亡くなられたとの事。あろうことか自殺だとか。本当に悲しくてやりきれない。
人は誰でも楽になりたい一心から自殺の誘惑にとらわれる事があります。かく言う私だって何度も経験しています。思い留まるかどうかは本当に紙一重のところだと思います。後になって冷静さを取り戻すと何故そんな気持ちにとらわれていたのかと思いますが、その誘惑にとらわれている時は本当にそれしか道は無いと思い込んでいるのです。一言で言うなら精神的に不安定だった。という事なのですが。
同じメンバー北山修氏は精神科医として病院のオーナーでもあります。北山さんと今でも近い関係にあればカウンセリングも受けられたのではと思ったりもしています。
そういうことができない一般の人達にとって最後の歯止めは、生に対する執着の強さかと思います。自身の近くで人の死と向き合う機会が多いとどういう訳か生への執着が増すような気がします。そして自分自身が死と直面した経験があると生への執着がより一層強くなるように思います。
そういった点から見てみると、山へ行ってた連中って自殺する人はいないですね。もっとも山へ行く連中は脳天気なヤツばかりで自殺を考えるほど気を揉む事がないのかもしれません。
人間、多少脳天気な方が良いのかなあ。