古い記憶を辿って

急に思い立ち薮原食堂へ行く事にした。
2006年2月15日の日記で述べたところだ。御岳食堂はよく前を通るが薮原食堂は薮原の信号より鳥居トンネル側にあり、わざわざ前を通る事はない。八方方面へのスキーも長野道が豊科まで開通してからは洗馬経由で行く事もなくなってしまった。そんな訳で日記には書いたが今もまだあるのか定かでなく確認の為にも行ってみたくなったのだ。あわよくばとろろ汁を付けて定食でも食べて来よう。
ばれないように、かみさんが出かけた後に出かける。休日特割で伊那まで中央道、権兵衛トンネルで木曽谷へ抜け薮原へ。帰りは下道で温泉にでも寄ってくるとしよう。と目論む。
三好IC入り口で渋滞の表示。一瞬下道(153号線)にしようかと迷ったが、どこから乗っても1000円という誘惑に負けゲート通過。
車の量は多いが東名なんていつもこんなもの。大丈夫だろうと自らに言いきかせながら行く。順調と思っていたら上郷SA手前で渋滞の最後尾に捕まる。「やはり休日は早く出ないとだめだなあ。」暫くトロトロと走りやっとの思いで豊田JCから東海環状に入る。こちらは至って順調。しかし中央道土岐辺りで渋滞との案内表示。
土岐JC手前でやはり渋滞に捕まり、中央道に入ってからも延々とのろのろ運転。まだ恵那にも達していないのにDIS表示が点滅して2時間経過した事を知らせてくれる。「え〜、2時間あれば下道で飯田まで行けちゃったなあ。」後悔先に立たず。上限千円だからと欲をかくと碌な事はない。
恵那を過ぎると渋滞もなくなり快調に流れる。よく減速の衝撃波などと言われるが、やはり原因はそのへんか。充分な車間距離を空けるだけで無駄なくスムーズに流れるのに、なんとコセコセとした人の多い事か。
恵那山トンネルも順調に過ぎ、伊那谷に出ると皆さん狂ったように走ってござる。流れにのり私も同様のスピードで行く。決してスピード違反をする気はありません。流れに合わさないと返って危ないからそうしているだけです。
駒ケ岳SAは満車の看板が出ている。やはり普段とは違う交通量なのだろう。ひとつ先の小黒川SAでトイレ休憩。




伊北から先で渋滞との案内が出ている。こちらは次の伊那ICで降りるから問題は無さそう。
伊那ICを降りたところで電話が鳴っている。もしかしてかみさんから? やはりそうだった。かけ直すと、
「今日はもう帰る。いまどこにいるの?」
おっとっと、やばいやばい。ランチのお誘いである。とっさに、
「お山に来とる。早く帰るのならそう言ってくれれば出かけなかったのに。」
「朝寝てたじゃない。家にいると思ってたのに…。帰れないのね。 クレヨンしんちゃんみたいになっていかんよ。」
それも言うなら、作者の臼井儀人みたいに、だろ。と思いながら、
「うん、解かった。ほんじゃあね。」
いや、結局身元不明の遺体は臼井さんだったそうです。デジカメの最後に艫岩からの俯瞰が映っていたそうで、どうやら誤って転落したようです。創作に行き詰まった結果の自殺じゃなかったという事がせめてもの救いです。同じ死ぬにしても自殺はいけません。残された者に大きな傷を残してしまいます。
とは言うもののやはり残された家族の方には悲しい事です。ご愁傷さまです。


とりあえずはこんな所に来ている事はかみさんにばれずに済んだ。ひとまず安心して権兵衛トンネルを目指す。
蕎麦も収穫が済んだようでそれらしいものは見当たらない。代わりにトウモロコシ畑がよく目立つ。その向こうには経ヶ岳。



トンネルを抜けループ橋を降り19号線と合流。山吹トンネルを抜け薮原へ。
薮原の信号を過ぎ、どの辺だったかな?と左側を見ながら行く。おっとっと、行過ぎた。向きを変え戻って薮原食堂に到着。こんなに近い所だったっけ。信号を過ぎてほんの少しの所だった。




しかし覚えが無い。こんなふうだったかなあ。とりあえず中へ入る。
メニューがズラっと並んでいる。こんな風だったのは記憶にあるが、テーブルの配置などは全く覚えていない。たしか広い座敷が合った筈だけど…、この障子の奥かな?
メニューを探すがとろろ汁が無い。もうやっていないのだろうか。尋ねるのも面倒だ。とろろ蕎麦があったのでそれを注文する。動いていないのであまりお腹も空いていない。こんなところの定食というのはかなりボリュームがある。食の細った今の私には持て余すに違いない。若い頃の上高地帰りとは比べられないほどお腹の許容量が縮小してしまった。

とろろ汁単品はメニューから無くなっているが、出されたものにはたっぷりととろろがかかっている。やはりこうでなくっちゃ。街中の訳の解からない蕎麦屋の【やまかけ】とは全然とろろの量が違う。申し訳程度にしかかかっていないとろろ蕎麦なんてとろろ蕎麦などと呼ぶべきではない。
早速たっぷりのとろろをズルズルと吸う。「おお、この味ですよ。これが薮原食堂の看板メニューだったんですよ。」単品で付けて貰った小鉢のとろろをズズズ〜っとすする。あっ、たしかウズラの玉子が乗っかっていたような。この他にボリュームたっぷりの定食で空腹を満たす。付いている御飯はもちろんどんぶり飯である。合宿中なんてエサを腹いっぱい食うなんて事はできない。最低限のエネルギー源としてのエサであって、それこそエサという表現に適った程度のものなのである。なので下山後に薮原食堂で食べるものは、いかにも人の生活圏に戻ってきた事を実感させてくれるものだった。


かけ蕎麦は蕎麦の旨みが汁で覆い隠されてしまう。熱い事でコシも弱くなる。それでもこの程度なら街中の下手な蕎麦屋よりはずっとましだ。蕎麦本来の薫りもちゃんとしている。久しぶりに旨いとろろと蕎麦を食い、お汁も全て飲み干してしまった。ああ旨かった。これでたったの550円。まるで30年前にワープしたかのようなお値段。今時こんなお値段、信じられますか?
お勘定を済ませ外へ出る。トイレはやはり外のままだった。昔は汲取り式で、臭いの点から皆トイレは店の外だった。冬場は外のトイレへ行くのが面倒だったんだよなあ。


さあ後は帰るだけ。鳥居トンネルを抜けて奈良井ダムから引き返すか。
暗くて狭い鳥居トンネル。ここを通るのも本当に久しぶり。雪の降りしきる中のスキー通い。岩岳の定宿への往復でよく通ったものだ。あの頃は車もFRだった。チェーンも横滑りするラダー。新雪の上を雪を巻き上げ、スラロームしながらよく遊んだものだ。
あかんあかん、年寄はすぐ昔話になってしまう。
帰りは下道(153号線)で行こうかとも思ったが伊那からではさすがに遠い。飯田まで中央道を使い、そこから153号でも良いかな。平谷のひまわりの湯にも浸かってゆけるし。




という事で飯田まではピュンピュン丸。153号線も飯田を抜け山道に入ればまたピュンピュン丸。登坂車線があるのでそこで遅い車はパスできる。あっという間に治部坂。ここからは降り。ちょっと降るともう平谷
平谷の道の駅も凄い混みよう。駐車するのに一苦労。




ひまわりの湯もよく混んでいる。600円に値上げしていたがそれでも充分納得できる泉質です。あ〜、生き返る〜。
帰る前に農産物直売所へ寄り栗を探す。かみさんに頼まれたいたんだった。
1ネット630円。お安いお土産。別の店の栗きんとんが6個入りで1,200円?なんでこんなに高いの?薮原食堂の値段を教えてやりたいくらいだわ。家のかみさんは630円の栗だけで充分喜んでくれる。お安く済むおかみさんですわ。


帰りもピュンピュン丸。153号線ってなんでこんなに空いてるの? もう下手に中央道なんて使えませんなあ。これからは中央道も飯田から乗るとするか。


帰宅後かみさんの為に栗を茹でておき、その一部の実を穿り出して栗きんとんを手作り。裏漉しは面倒なので小さい擂粉木で潰し砂糖少々と水ほんの少しを加え練る。粒々が残っており栗本来の味も楽しめる。荒引きウインナじゃなくて荒引き栗きんとん。



味に敏感なS司も旨いと太鼓判。2時間かけてたった8個。かみさん喜んでくれるかな〜。
もったいなくてなかなか手が出ず、遠慮の塊が3個残っちゃいました。後はかみさんの明日の弁当のデザート