高き峰々への誘い

 −−山へ行け、君の憂鬱のすべてをば、リュックサックに入れて(大島亮吉)
雪と岩、風と光、流れと青空……。 アルプスという言葉からはこうした爽やかなイメージが浮かんでくる。
たとえば夏。都会ではペイブメントの照り返しで耐えられぬほどの暑さが続くようなころ、アルプスと呼ばれる3000メートルの岩峰には汗を気持ちよくぬぐいとっていく風が吹き、残雪がプラチナ模様に谷を埋めている。
何よりも、他にぬきんでた高さがいい。試みに一つの岩の上に立ってみれば、世界がすべて足下にひれ伏すような気宇の壮大さをおぼえるだろう。見渡すかぎり男性的、超俗的な風景であればこそ、日頃の自分を忘れて大きなものへと脱皮していくように思うに違いない。
また荒涼とした自然の中で、小さな自分を見つめ、非力な人間を思い、自然の偉大さを改めて知ることもあるだろう。全力をあげていどんだ岩壁のきびしさ、重荷に耐えた心は、いつか人生のどこかで支えとなるかもしれない。
そして時には、都会生活で疲れきった心をやさしく抱きとめることもあるだろう。お花畑に埋もれてもいい。岩のテラスでトカゲもいい。アルプスの豪壮な山容が思いがけない親しさとやさしさで君を休ませてくれる。(以下略)


山と渓谷社アルパインガイド28 上高地・槍・穂高(三宅修著)の冒頭の一節です。
今となっては少々古めかしい文章ですが、いつもこれを読み返し地上の別天地に思いを馳せていた自分を懐かしく思い出します。
ペイブメントの意味が解かる人って今では数えるほどしかいないでしょう。トカゲは今でも使われている言葉でしょうか。
私に限らず当時山にのめりこんでいた若い人達は皆、世間からの抑圧や人生への不安・悩みの逃げ場として、山に対し形而上的なものを求めていました。そしてそれぞれ独自の哲学のようなものを体得していったのです。謂わば山が人生の先生であった訳です。未熟な若者がその心の成長期に山という教師に出会い、仲間達とともに育っていったというものです。ですから山への接し方が今の中高年の方々とは全く異なっているように思います。中高年の方々は人生の辛酸を舐めつくし悟りの境地に達した方々。これから育とうという若者達とは違い、わりと醒めた目でただ楽しむ事だけが目的のような気がします。まあ山自身もあまり期待ばかりされても困ると思っていたかもしれません。


巻頭にいくらかのカラー写真が続き、そのカラーページの最後に涸沢の写真と一緒に涸沢ヒュッテの宣伝。
山の仲間の合言葉 涸沢カールで逢いましょう!!  山の朋文堂案内所
この【山の朋文堂】は東京有楽町にあります。今では(ありました。)かな?
何のパロディーか解かる人は相当なお歳です。
…昭和30年代、フランク永井の歌の1フレーズ【あなたと私の合言葉、有楽町で逢いましょう】から採ったものです。
本文中の写真は全て白黒。粗いオフセット印刷の版なので凄く品位の悪い写真です。
上高地のバスターミナルの写真には、今ではもうどこも走っていないボンネットバスが写っています。それこそ【東京のバスガール】や【田舎のバス】の世界です。
巻末の著者紹介では三宅さんが串田孫一さんの【アルプ】の編集に携わっていた事も記されています。Netで調べたらまだご健在のようです。


なんでこんな本を持ち出してきたかって?
御在所仲間のTさんが8月2日の0時出発で槍へ行く予定だったそうなのですが、天候不順で急遽中止したそうです。ベッドに寝転んで本を読んでいて気分転換にこのガイドブックを開き、ついこの冒頭の一節に引き込まれたという訳です。少々かび臭い文章ですが、若い頃を思い出しつい引き込まれてしまった次第です。
これで450円。昔は本も廉かったのですねえ。