予防医学

興味深い記事を目にした。
厚生労働省新型インフルエンザ対策に対する批判である。
現役の厚労省検疫官でありながら、同省のあまりの稚拙さに業を煮やしての告発のようだ。
氏は米国で公衆衛生、特に感染症疫学を修めたその道の専門家。厚労省が取った空港などでの検疫、水際阻止なぞなんら意味をなさない事を当初から言い続けていたそうだ。そして案の定、感染者の侵入と拡散を許してしまった。
なぜ無意味なのかひとつひとつの説明が非常に論理的であり、私のような素人にも充分納得できるものなのだ。
そして氏が言うには、日本は感染症対策においては全くの発展途上国なのだそうだ。感染症対策のモデルとなる結核罹患率は欧米の10倍でネパール並み、「50年前のレベル」と言われるほどの次元らしい。殊に近年問題となっているHIVエイズ)の罹患率が上昇しているのは、主要先進国中では日本だけなのだそうだ。
そして今、感染症対策の【いろは】も知らない医療機関新型インフルエンザの受診強制をしようとしている。その医療機関に入院している免疫力の低下した患者への院内感染を助長する事になると氏は危惧している。最も効率的で安上がりなのは公園などにプレハブでも建てて発熱外来を受け付ける事だと主張している。


ではなぜ日本はこれほど公衆衛生学が遅れているのか。逆に、なぜ他の国は公衆衛生学に力を入れてきたのか。
氏が言うには公衆衛生学は医学における国防なのだそうだ。感染症により国民が死ねば国が弱体化する。また戦時にはいかにして兵士達の感染を予防するかが公衆衛生学の重要なテーマだった。国防だからこそ大きな予算も割り当てられる。将校育成のカリキュラムに公衆衛生学が組み込まれている国も多い。


日本では政治家に限らず医者も世襲が多い。親の苦労を身近で見つめ良い事もそうでないことも全て承知の上で、「世の為人の為に。」という高貴な精神で医者を継ぐのなら良いが、単に親が医者だからというだけで医者になろうとするものだから、「しんどいのは嫌。」とばかりに診療科の偏重や、地域偏重に陥ってしまうのではないだろうか。
そんな【お医者屋さん】から自発的に「公衆衛生や予防医学を発展させよう。」なんて発想は望むべくもない。
かといって国防の見地から政治が関与する事もありそうにない。こんなところにも安保ただ乗りの弊害が現れているのではないか。「自分の身は自分で護る。」この主体性を失った結果が、予防医学の遅れ、しいては新型疾病対策の遅れに繋がっているような気がする。