K Y

地下鉄の中で。
途中の駅から女子高生の一団が乗り込んできました。
姦しいお喋りが聞こえてきました。
「あの人って良い人なんだけど空気が読めないのよねえ。」
「そうそう、そうなのよねえ。」
中年親爺の穿ったものの見方かもしれませんが、「良い人なんだけど」と付け加える事で、さも自分が人に寛容であるかを示しておきながら、実は「あいつはKYだ。」と決め付け、「自分達とは異質だから排除しよう。」という意図が見え隠れしているように感じられます。あいづちをうっている人にもこの裏の意図も含めて同意しているのが見てとれます。
このKYという隠語、マスコミまでもが面白がっていつの間にか完全な市民権を得てしまったようです。
状況判断が出来ない、協調性が無い、などの意味を暗に指して使い始めたもののようですが、いつしか排他性やいじめに繋がっているような気がします。
状況判断が出来ていないと思ったのなら本人に直接説明してやれば良いではないですか。陰でコソコソは陰湿です。いかにも日本独特の思考パターンに思えます。
そして皆がKYとならないように努め、結局画一的な考え方しか出来なくなってしまうのではないか?と危惧しています。
KY、大いに結構な事ではありませんか。それも個性です。多様な考え方を認め合う事ができない。これが今の日本を駄目にしている最も大きな問題ではないかと考えています。
せめて人と違う点が気になってもそれを認め合う寛容さを持ち続けて欲しいものです。