ジレンマ

あ〜、今日もええ天気やな〜。
ちょっとぼんやりとしていて空の青さは感じられないが、春のような柔らかな陽射しが暖かい。
どうせ暇なんだし、スキーにでも行けば良かったな〜。
今日の夜は家族で中華を食べに行くと言ってたが、近頃の混み具合では充分夕食の時刻までには帰ってこれた筈だ。
明日は大晦日。流石にそんな日に出かけるのは気が引ける。正月三が日は混むだろうし、って事は三日土曜日はまた御在所通いか。スキーはその次の週か。
ん? 我家の四駆はもうAuちゃんしかいない。汚すのは嫌だし板を入れるのも大変そうだし、もうスキーも止めるか。
前置きはこのくらいで。


昨日久しぶりにT哉の愚痴を聴いた。
学生時代にやってきた事と職に就いてからやっている事とのギャップについてだ。
「このままで良いのか?」という強迫観念にとらわれているらしい。親としてはもう何も助言は出来ない。転職も良し、復学も良し、石の上にも三年、我慢するも良し。すべて自分自身で決めるしかない。
ただ景気低迷、大量解雇が恒常化している世相から今は転職には不利であり、本人もその事は充分承知している。
T哉が言うには最初の躓きは志望していた理学部を諦めた事らしい。工学部へ行ってからもより理学に近いものを専攻した。結果就職先なぞそうあるものではない。そこでまたもや諦めなければならなくなってしまった。
それが諦めきれずに未だに尾を引いているのである。
親の負担を避け早く自立しようと焦っていたのは傍目にも解かる。奨学金と一部学費免除のおかげで殆どお金はかかっていない。
それほどまでしてきたのに、最も優先すべき自分のやりたい事を置き忘れていたのに気付き、それを悔いているようだ。
そしていつも下にいた筈のS司が、既に横に並んでいる或いは追い越されてしまったかもしれないという強迫感を感じているのかもしれない。


話の中でT哉が学生時代に先生から言われたという言葉が耳に残っている。
「君のリポートからはフィロソフィーが感じられない。」これが相当なショックだったという。
フィロソフィーというほどではないが、私も昔は人の設計を見て「ああ、こいつはこう言う人間なんだな。」と思想みたいな物を感じる事はよくあった。
何事を為すにも根底には思想なり哲学が必要なのだろうと思う。それを現す機会もなければ、周りにもそんな人間は居ない。そんな環境では我々のような人種は生きていると言う実感が得られないのである。
私自身はほぼ人生の黄昏時に達しており我慢もできる。しかし我が子にはたとえ貧しくとも生きている実感が味わえる道に進んで貰いたいものである。