子育て

親が我が子を手にかけてしまう。
昨日のニューズに限らず、かなり高い頻度で起こっている。
そんなニューズを耳にして、なにかしら心に引っ掛かるものがある。
「そんな事常識では考えられない。」というのが一般的な意見だとは思うが、私にはその言葉どおりに済まないように思える。一歩間違えばどこの家庭にでも起こりうる事のように思える。
そして、このような話を耳にする度「家はそうならなくて良かった。」と胸を撫で下ろしている。
核家族化が進み、相談する相手が身近にいない若いお母さん方は、皆同様に悩み続けているのである。
幸いうちの場合はそうならずに済んだが、それはご近所のお母さん業の先輩方のおかげである。
当時かみさんが私に話してくれた事、「人(他人)の子だと思えば良い。」これもご近所の先輩お母さんの言だったそうだ。
初めての経験、良くなって欲しいとの我が子への強過ぎる思いが、不安、孤独、寝不足、疲れと相まってしまえば、精神的に不安定になって当然である。
お姑さんと同居ならその負担も半分は担ってくれる。いや精神的な安心感から幸せだけを満喫できるかもしれない。多少のいざこざはあってもそんなものは些細な事でしかない。
ところが生活が豊かになったおかげか、若い内から戸建住宅を構えてしまうと中の様子が外からは全く解からない。中では若いお母さんが孤独と不安に苛まれていても。
家の場合は貧乏だったおかげで県営住宅に入居した。薄い壁越しに隣近所の気配は丸解かりである。夫婦喧嘩なぞしようものなら辺り一帯全ての人達に聞かれてしまう。それでも皆さんよくやってました。当然うちも負けずに喧嘩に精を出してました。
子供が産まれ退院後、私もオムツの世話や食事の支度などをしていた。二日目だったか三日目だったか、出社前に玄関で呼び鈴が鳴った。ドアを開けると見知らぬ御婦人が立っていた。「二階の**ですけど、オムツ出して。ついでだから一緒に洗ってあげる。」
今時こんな人が居るのか。有難い気持ちもさることながら、全く思いもしなかっただけに大きな驚きだった。
それからである。かみさんがご近所の先輩お母さん方の仲間入りしたのは。同世代のおかあさん、年の離れたお母さん達からの経験談を教えて貰うと同時に同じ悩みを持つ者同士の連帯感も持つようになっていった。
我家が間違いを犯さずに済んだのは、これらご近所のお母さん方のおかげである。
ご近所のお母さん方だけでなく、子供達にとって同世代の子供達も兄弟同様の役割を果たしてくれる。小学低学年のお兄ちゃんお姉ちゃんは親の役割の領分までカバーしてくれる。
若いお母さんにとっても赤ちゃんや幼児にとっても、こんなに素晴らしい環境はそうあるものではない。
我家の場合は偶然その環境に恵まれた訳だが、多少経済的に余裕があったばかりに共生よりも自立を選んでしまった人達は不運だと思う。そしてその環境が若いお母さんを追いつめているような気がする。
と同時に古くからの日本の生活文化(嫁、姑の同居)が、大きな事故を予防する役割を担ってきたであろう事にも、弊害ばかりでなかったと思えるのである。