パンプキン

夕刊6面に写真付きで載っていた。長崎型原爆ファットマンの模擬爆弾である。構造上ズングリムックリになってしまったのでフィン(安定翼)は付けたものの本当に目標を狙う事が出来るかどうか解からずそのシミュレーション用に造ったもので、コンクリートを詰めたものと爆薬を詰めたもの2種類が造られた。本物の形状(デブ男)と同サイズ同重量でこちらはカボチャ(パンプキン)と名付けられた。マンハッタン計画としてロスアラモス国立研究所で開発されたものである。
先日読んだ【クォークジャガー】のマレー・ゲルマン自身もロスアラモスと縁が深い。サンタフェ研究所は直線にして40km、ほんのお隣の町なのである。
米国の砂漠でのテストにはコンクリート入りが使われ、日本での実地訓練ではTNT入りが使われた。戦争中の敵国に落とすのにコンクリート入りなぞ落とす訳がない。
因みに広島型リトルボーイは安全装置が無く事故で飛行機が落ちても爆発してしまう欠陥品で、テストもなにもせず一発勝負で投下されたもの。エノラ・ゲイの搭乗員はひとつ間違えばその犠牲者だったのである。
夕刊の記事に限らず、非人道的兵器と言う言葉が目を引く。兵器に人道的ってあるの?っとへそまがりのtanuoさんはつい嫌味を言ってしまう。
市街地爆撃などという行為は【非戦闘員の殺傷を禁じる】という国際法に反しているが、既に日本も南京、重慶空爆でその禁を犯していたのである。
パンプキンをファットマンの模擬試験に投下した事を怒るより、ファットマンを投下した事にこそ怒るべきだろう。いやその前のリトルボーイも同じだ。黄色人種に対する差別があったとも言われるが、米国上層部ではそんな偏見より日本人の優秀さを認めていたのである。だからこそ大きな脅威であり早期終結に向けてなりふり構っていられなかったのである。
勝った側と負けた側では不公平があってあたりまえである。米国に恨みをぶつけるなら、アジアの人達から恨みをぶつけられる事を受け入れなければならない。
怨み辛みより未来に向かって共存共栄に努めるべきである。奇しくもついこの前胡錦濤主席が言っていた事である。