夏休み

この夏T哉は上高地へ行くそうだ。彼女のご贔屓の宿が福地温泉辺りにあり、そこで一泊するらしい。
上高地ってどんなとこ?」
「小学校の時涸沢へ行っただろ。バスセンターがあった所。」
小学一年の時の事なぞ殆ど覚えていないようだ。それに上高地っていつも素通りだったしなあ。
観光用のメジャーなポイントを一通り教えてやった。
しかしあの時からもう20年も経っているのか。考えてみれば我家では他所のお宅のように観光旅行なんてした事が無い。毎週のように出かけていた割りに一般の観光地なるものへは行った事が無いのである。「チョット偏り過ぎていたかな?」と今になって反省している次第。子供達もその友人達から思われている事だろう。「どこへも行った事がないのだな。可哀想に。」とでも。
あの辺りの観光スポットというと、上高地新穂高ロープウェイ、乗鞍スカイラインと畳平、平湯福地辺りの温泉etc.etc.
しかしそのコース取りは以前とは大きく様変わりしている。
スカイラインは一般車乗り入れ禁止。飛騨側のスキー場駐車場からバスで行く事になる。
かつてはカーブの連続だった安房峠越えは安房トンネルに置き換わっている。おかげで冬季閉鎖だったのが冬でも通行可能になってしまった。そうそう新穂高へも昔は冬場は平湯からは行けなかった。41号線数河峠を越え遠路遥々神岡経由で行っていたのである。
今にして思えばよくもまああんな遠回りができたものだ。それを苦にもせず若かったとしか言いようが無い。
昔の事しか知らないおっさんは子供に観光案内の便利なコース取りも教えられないのである。困ったものだ。


出来れば子供と一緒に出かけたいが、彼女と一緒じゃお邪魔虫。「ちぇっ、良いなあ。羨ましいなあ。」そして「寂しいなあ。」
今年も長い夏休み、誰も遊んでくれん。寂しい〜。かみさんと出かけると、いつも食道楽。金がかかってしょうがない。昔のようにラーメン一杯を二人で分け合って食べていた頃が懐かしい。切り詰めて切り詰めて贅沢は出来なかったがなにかしら楽しい事ばかりだったなあ。
昔の思い出に浸るってやはり年を食ったんだなあ。


深夜に新穂高温泉に着き駐車場に車を入れる。もちろん無料である。道路を隔て中崎山荘の露天風呂があった。真夜中の事、誰も見ている人はいない。生垣を乗り越えただで露天風呂にザブン。暖まったところで車に戻り寝酒にビールを飲み仮眠。人数が多いときはテントを張ったなあ。橋の手前ガソリンスタンドの隣を下へ降りて行くと無料の露天風呂があった。しかしここのお湯はいつも温くて入れたものじゃない。それでいつも中崎山荘の露天風呂にやっかいになっていた。もう時効ですよね。観光センターよりずっと手前に対岸に渡る橋があった。この橋を渡ると民宿深山荘、当時一泊5千円の安宿だったが何度か泊った事がある。それよりもっと蒲田川下流、道路が左岸から右岸に移った所には槍見温泉があった。錫杖の帰りはここの露天風呂に必ず入っていた。時間的に入泉料が必要だったが。
子供達を朴の木平の合宿に連れて行った後などは平湯まで足を延ばし温泉で暖まってから車中泊。かみさんと一緒の時はホテルで入湯。私ひとりならコソッと…。これも時効ですね。
上高地へは境峠経由が一般的だった。誰が好き好んで岐阜県側からなぞくるものか。というのが当時の常識。しかし今は安房トンネルのおかげで岐阜県側から入る人も多いと聞く。
乗鞍もスカイライン代を払うのが嫌で乗鞍高原スキー場からが多かった。雪解け水が夜間に凍り、ミラーバーンと化した林道を騙し騙し鶴ヶ池へ。ここから位ヶ原山荘まで滑降。滑走者を回収する為位ヶ原山荘まで降り、また鶴ヶ池まで。運転手を交替しながら皆で一日中滑ったものです。乗鞍のスキーは子供達が結構大きくなるまで毎年の我家のイベントとなっていた。ゴールデンウィークまでならスキー場まで滑り込む事も出来たし、本当にこの辺りは遊びのフィールドとして思い出深い所だった。
しかし…、世の中変わった。便利になったのか不便になったのか。