久しぶりの涼しさ

今日は日中大雨だったそうだ。
朝刊には夕立がありそうとあったが、夕立どころか昼立ちいや朝立ちだった。(ん?下ネタのつもりじゃありませんので。)
出勤時は快晴だったのでそんな事だとは全く知らなかった。オフィスの中にいると外界と遮断され全く気付かない。
帰宅時には大雨も一段落していたが念のため置きっぱなしにしてある折り畳み傘を鞄に忍ばせておいた。結局傘を差す事はなかったが不安定な天気だ。昨日の北陸での突風も積乱雲からのダウンバーストだったらしい。何トンの錘が天幕と一緒に宙を舞うくらいだから相当なものだ。自然とは人の力で計り知れないものである。
でも今日の大雨のおかげで今夜は頗る爽やかである。不幸に見舞われた方々には申し訳ないが、この涼しさも大雨のおかげかと思うと天の神様に感謝したくなる。
そういえば昨日も午後早い時刻に夕立があったようだ。おかげで夕べも涼しかった。夕立があった時は図書館の中にいて気付かなかった。先週に引続き日曜の日中は図書館通いである。なに、別に調べ物をしている訳ではありません。単に涼みに行っているだけです。家のエネルギーコストを下げる為と温暖化防止策の一環として家ではエアコンを入れないようにしているのです。この涙ぐましい努力! というかホント私ってケチですね。
ついでに本も見てきた。さすがに本も持たず、ソファーで昼寝なんてようやりまへん。
先週見つけた【星と嵐】の辺りにそのシリーズものらしい本が並んでいました。そこに【単独行】もありました。謂わずと知れた加藤文太郎の山行記録などを遺稿集として纏めたものです。新田次郎の【孤高の人】は家にもあり、装丁のしっかりした単行本なので倉庫でなく家の押入れのどこかにある筈です。【孤高の人】は小説ではありますが、著者の取って付けたような三文小説染みたところと、しっかりした調査の上に記された部分とがはっきり区別でき、その部分からは文太郎本人の人となりを充分推し量ることができます。殊に文太郎自身が後々まで心の傷として引きずる事になる剣沢での事柄などは、小説の方でもほぼ文太郎本人が【単独行】に記したものと同様の内容となっており、不器用さ故の誤解や根底にある階級差別のようなもの、あるいはその時代特有の思想のようなものも垣間見る事ができます。近代登山の黎明期でもあり特権階級の選民思想が色濃く窺えますね。
加藤文太郎のような人がいて、そのおかげで我々サラリーマンでも山へ行けるようになったのだろうと思います。それがしいては現在の中高年登山ブームに繋がっているのかなあ。
結局昨日も気が着けば読み終えてしまいまして、図書館を出てから大雨が降った事に気付いたという次第です。
よし、来週も図書館通いで節電に精を出すぞ〜。


余談ですが、我家のムクゲもしっかり咲いています。百日紅のような暑苦しい色でなくいかにも涼しげな色です。同じ木に薄紫がかったピンクとそれほど紫が強くないピンクとあります。時間が経つと赤味が強くなるのかなあ。
暑い中、目で涼しさを演出してくれていたムクゲの花ですが、昨日、今日とそのお世話にならなくても充分涼しく、今夜もぐっすりと眠れそうです。