英語教育

今日も御在所通勤。家を出ると辺りが濡れている。
空を見上げると一面の雲。多少明るめではあるが暗い雲が流れている。
車に乗り込み暫く行くととうとう降りだした。もう本降りである。雨の嫌いなtanuoさんは決断が早い。
「帰って寝よ〜っと。」
帰宅後二度寝前に朝刊に目を通す。
小学三年からの英語教育についての否定的な意見が目立つ。国語の基礎も出来ていないのに英語を履修するのはおかしいとか、まるで順番があるような物言いである。
学ぶ事においては、順を追ってステップアップが必要なものもあるが、同時進行でかまわないものもある。
同時進行が可能であるから国語とか算数とかの教科に分かれているのである。いや同時進行が必要だからと言うべきか。
製品開発などでも昔は各行程毎で完全に切られ、その行程が完了してから次の行程に移る。という方法が採られていた。それじゃあ遅すぎて市場投入が遅れるとの事から、各行程で先行して進められる事は進めようと同時進行するようになった。(コンカレントエンジニアリングだったかな。)
別に履修を急がなければ世の中について行けない訳ではないが、効率よく教育を進めるなら別に悪い事ではない。また英語に限らず幼い頃からいろんな物事に触れる事はむしろ良い事だと言える。それでなくとも今の世の中外来語でいっぱいですもんね。
そんなことより今の英語教育そのもののありかたが問題だと思うが、それに言及したものはなかった。識者の皆さん、本当にその道のエキスパートなんですかね?


今の制度でも、高卒で6年間、大卒ともなれば10年にも及ぶ永〜い年月英語を勉強しているのである。
そのくせ実際には殆どの人が全く話せないというのが実情である。この非効率に対する言及が全く無いというのはどういう事だろう。識者の皆さんは全く現状を把握していないという事ではないのですかねえ。
海外へ行った時この事を話すと、皆一様に驚く。そしてその笑顔の奥に哀れみと軽蔑が覗く。
この事こそが一番の問題なのではないですかねえ。
学校での英語教育で最も重要なのは日常会話だと思う。会話も出来ないものに文法も文学もないでしょ。
その会話が出来ない事の最大原因は教師だと思う。ジャパニーズイングリッシュしか話せない人がそのジャパニーズイングリシュを無垢の生徒達に刷込んでいるのである。初めてネイティブな発声を聞いた人は全く聞き取る事ができない。そう10年間に亘り英語に似た英語でない言語を学んでいたのである。
それと慣用句でなく単語重視である事もそれに拍車をかけている。単語だけで会話は成り立たない。文章まるごと覚えそれをごくあたりまえに使えて初めて会話が成り立つのである。技術的な打合せなら専門用語の羅列だけでも意志は通じる。しかし、そこになにげない会話による気配りが加わればより心が通じ合うものである。
簡単な例をとると、Look単独で使われる事は少ない。Look at 〜 或いは、Wait for 〜 と続けて使う。単語偏重の教育では前置詞が抜けたり使い方を迷ったりし易い。これが話せない原因のひとつになっているような気がする。
「6年も、或いは10年も一体何をやっていたの?」と言われないように英語教育のあり方を変革する方が最優先だと思いますがねえ。
そう、「ワットタイムイズイットナウ」より「掘った芋いじるな」、「フィラデルフィア」より「古豆腐屋」の方が良く伝わるのである。