人を突き動かすもの

中日夕刊に「この道」と題したコラムがある。各界の著名人が一定期間受け持って執筆しているもので、今は宮城まり子さんが担当されている。
宮城まり子さんについてよくは存じていないのだが、優しさの中に凛とした強さが感じられる。奇麗事で飾った言葉ではないがいつも真実を突いており、詭弁の多い私なぞは心の奥を見透かされているような気になる。実際には面と向かっている訳でもないのに、後ろめたさと恥ずかしさについ後ずさりしてしまうのである。
私がものごころついた頃に女優を引退し【合歓の木学園】に全力を投じていらっしゃったという。
彼女に関する拙い知識は殆どが姉からのまた聞きであり、別世界の事としか感じられなかった。
唯一の記憶は小学生の頃大晦日に見たTVだけである。お炬燵で祖母と姉が見ていた傍で私だけは模型の飛行機を作っていたと思う。当時は暇さえあれば模型造りをしていた。面倒な宿題なぞ授業中に済ませ、登下校時も心は模型の事ばかり。あそこはこうしてみよう、ここはああしてみよう。とそれしか頭になかった。当然休みになれば授業中などに暖めておいた企画を実施に移す事になる。
根っからの【ながら族】で授業中も先生の言う事を聞きながら模型の構想を練り、その傍らで前の時限の宿題を片付ける、帰宅後もテレビを見ながら(実際には聞きながら)模型造りと、ひとつの事だけに打ち込むなんて時間の無駄は出来なかった。
その時のテレビの内容を断片的に覚えている。年末というと忠臣蔵。たしかそれをパロディー化したコメディーだったように思う。「吉良家用心棒募集」の看板を見て、文字の読めない者が知ったかぶりして「よしよしやーよ、辛抱募集」と読んでいた。また宮城まり子さん扮する男の子が物語りの最後に、実は女の子だった事を知られてしまい最後に言った言葉、「立ち小便だけが出来なかった。」この言葉がオチになっていたのだが、哀しみの中に笑いを誘うもので、当時のテレビ番組の定番のようなものだった。
戦後の苦しい生活から徐々に豊かになりつつある世相の中で涙と笑いは表裏一体のものだったのかもしれない。私が見た彼女は唯一これだけだったが、引退後身障者の施設を民間人の身で興し、それが素晴らしく立派な事だと姉からの一方通行の情報だけがよく入ってきた。芸能通の姉の情報の中でも他とは一線を画す、浮ついたところのない立派な人柄である事がよく伝わってきた。
もともとそういった好印象の上に中日夕刊のコラムの記事。飾りの無い文章の中に人間の優しさが直に感じられる。名誉欲なぞ全く持ち合わせていない、心の底から彼女を突き動かしているものが感じられる。それが私の偽善的な物を見透かしているような気がしていたたまれなくなるのである。
と同時に、何もかも許してくれる清濁ともに包み込んでくれる優しさについ甘えたくもなるのである。そして帰宅後の一時、心になにか暖かいものを感じ翌日を心待ちにしているのである。