山とワイン

若い頃はワインとはあまり馴染みが無かった。自宅で飲むのも夏はビール、冬はウイスキー
炬燵しか暖房の無い部屋に夜遅く帰ってきて飲むオンザロックは独特の風情がある。
0℃近くに冷え切った室内ではグラスの結露が凍るのである。強いアルコールに氷が無理矢理融かされ、その為にウイスキーの温度が0℃よりも下がるようだ。
寝袋に入ったまま炬燵に足を突っ込み顔だけ出して就寝前の一時TVを見ているのである。そしてウイスキーを口に運ぶ時だけ寝袋から手を出すのである。アルコールの力を借りなければ仕事で昂ぶった神経が眠る事を許さなかったのである。
山でも当然ウイスキーである。少ない(軽い)量で効率よく酔うには度数の高いウイスキーかブランデーに限る。度数の低いワインや日本酒などは凍ってしまう。ましてビールなぞ以ての外だ。
スキー場では車で運べる為、喉ごしの良いビールを持込み、凍らせてしまう事もしばしばあった。過冷却状態でまだ凍っていなくても、栓を開けた瞬間シューっと口の方から凍って行くのをよく経験した。
一度くらいならその様子を見てみるのも良いが、一度凍らせたビールはどうしようもない。湯煎しても気の抜けたものにしかならない。
日本酒もよく凍らせてしまったが、これはビールのように固くならずシャーベット状に凍る。これをスプーンですくって食べるのである。これはこれで格別な旨さである。
スキー場なら兎も角、山では専らウイスキーかブランデーであった。当然合宿への差し入れもこの類のアルコールである。気温の低い冬山にはワインは合わない。
夏山などの山小屋営業期間は、小屋でビールが買えるので打上げの時など山小屋価格の高価なビールで祝杯を挙げる事もあった。
そんな訳でワインとは馴染みが薄く、そんなものを山へ持込む事など考えたこともなかった。


ある時K先輩と一緒に出かけた時、生まれて初めて知ってはならないものを知ってしまった。
元々飲兵衛のK先輩はこっそりとワインを水筒に仕込んで来たのだった。
日を遮る物も無い夏の岩場は、その照り返しも加わってとんでもない暑さである。おまけに絶え間の無い緊張から口が渇きネバネバしてくるのである。そんな時ほんの少量を口に含みすすぐようにして飲むと酸味のおかげか凄くさっぱりするのである。以来それが病み付きになってしまい、ワイン入り水筒は手放せなくなってしまった。
特に終了点がハイカーの行き来するような所だったりすると、これ見よがしの祝杯の為に瓶ごと持上げる事もあった。当然夏場限定の行事である。
時期を同じゅうして会の親分もワインに嵌っていた。集会後はお決まりの飲み会。その場でもワインを飲む機会が多くなって行った。専ら千円台のドイツワインが主でそれも白ばかりであった。リープフラウミルヒ(聖母の乳、各メーカーから出ている。)などはその定番である。日本酒より2-3倍の値段になるが、なんとなく豪華でハイソサイアティーな気分に浸ることができた。
ある時K君が山に持ってきたワイン、それがジンマーマンだったかドラーテンだったかのターフェルワイン(テーブルワイン:お手軽に飲めるワイン)だった。殊の外甘口で、アイスワインほど甘くはないがお値段はその1/10。以後私の大のお気に入りとなった。十勝ワインの熟成の足りない味より若干高いが味は雲泥の差。一度この味を覚えてしまうともう十勝ワインなぞ買う気になれないのである。やはりワインに関して古い歴史を持つ国のものと、100年にも満たない歴史しかない日本のものとでは全く質が違う。


時は流れ、山も引退して久しい頃、もっと衝撃的な事を知ってしまった。仕事で東西統合後のドイツへ行った時の事である。
旧東独、ドレスデン郊外をエルベ河沿いに少し下った辺りにラドビューと呼ばれる街がある。北側に丘陵地を擁しており、ここから北西に進むと陶器で有名なマイセンがある。
丁度夏のバカンスシーズンと重なり、初めの2泊だけドレスデン市内のホテルの予約が取れたがその翌日からは泊る所は見つかっていなかった。それで取引先の担当者が探してくれたのが、このラドビューにあるペンション(民宿:学生相手の安宿)だった。大きな家にお婆ちゃんのひとり暮らし。自宅を貸す事により現金収入を得ているようだった。日本円にして一泊2千円ほど。当然食事は付かないが野宿するよりはまし。
そこで食事は外食(と言っても結構遠い。)か近くのコンビニ(統合後間もない頃でも日本にもあるスパーが早々と開店していた。)で調達した。
サマータイムで午後3時には退社、早々とペンションに戻るとお婆ちゃんが自宅で採れたチェリーを大皿に山盛り持ってきてくれたりした。それから日暮れの午後9時過ぎまでまるまる一日に相当するほどの時間がある。
中庭の大きな白樺が印象的な家だった。(尤もこの辺りの家はどこも同じような造りである。)
英語が全く通じず、こちらもドイツ語なぞチンプンカンプン。お互い身振り手振りでコミュニケーションを図った。
そのスパーで飲み水代わりにリンゴジュースを買った。日本の牛乳パックと同じ1L紙パックでリンゴの絵が印刷してあった。
帰ってからがぶ飲みした瞬間、喉がむせ吐き出してしまった。よく見るとアッペルザッヘ(リンゴジュース)ではなく、アッペルビニガ(リンゴ酢)だった。
こんな失敗もあったが良い事もあった。それが先程述べた【衝撃的な事】である。
同じくこのコンビニに一升瓶を短くしたような瓶の栓に2.99と表示されたものがあった。ラベルを見ると確かにWeinと印刷されており容量は1Lである。当時1マルクが80円くらいだったから1Lあたり250円ほど、Tax込みでも300円はしていないのである。当時はまだ日本では消費税が導入されていなかったが、Tax込みの値段でも日本の価格とは全く比べものにならない。
捨てても惜しくない金額なので早速買って帰り飲んでみた。「うんにゃ、滅茶苦茶旨い。」
日本で売られている700mLが1,500円以上のものと同等かそれ以上である。
欧州では水代わりにワインを飲むと聞いていたがまんざら嘘ではなさそうだ。ミネラルウォータの価格とあまり変わらないのである。同じ物をもう1本買い日本へのお土産にしたのは言うまでも無い。勿論2.99の値札は剥がして。
翌日取引先の人に尋ねると、旧西ドイツのライン河沿いほど有名ではないが、ここラドビューも昔からのワインの産地だそうである。
人の良いお婆ちゃんと古い街並み、丘陵地のブドウ畑、果てしなく広がる広大な大地とそこを流れるエルベ河、これらの景色が今でも鮮明に思い浮かぶ。
古くからのワインの歴史を持つ国は日本などでは考えられないほど高品質低価格のワインを大量に造り続けていたのである。完全自由化となれば日本酒など一部の好事家が消費するだけの特殊な酒になってしまう。それほどまでに海外では生産者と消費者が密接に繋がっていたのである。日本の、高いものを許す消費者とそれを当たり前と思っている生産者。これでは海外産に太刀打ちなど出きっこない。日本の農業の生産性の低さを思い知らされた出来事だった。
1本何十万円もするワインの世界もあるだろうが、殆どの人達が慣れ親しんでいるのはこれらの日常生活に密着したワインなのである。我々日本人と同様、本場の彼等でさえも超高級ワインの味なぞ知らない。知ろうという気もない。別世界のものとしか見ていない。彼等の生活と密接に繋がっている安くて旨いワインこそが本当のワインの味と言えるのではないか。
夏の岩登りには是非1本、気付け薬兼のど飴代わりにこの庶民的なワインを携行したいものである。これならそれが無理なくできる価格である。



週毎の御在所通いを再開して早や8年ほど経つ。日帰りばかりで山で酒を飲む機会はなくなってしまった。偶にはワインでも持って野宿するのも悪くない。ワインが凍らない温かい季節に一度くらい行ってみたい気がする。

おまけ:
ドイツワインの話ばかりだったのですが、ドイツではWeinと書き、ヴァインと呼びます。Wは濁って発音するのが一般的ですが、ここ日本ではワインと呼ぶのが普通なので私もワインと表記しました。ドイツの人もそのあたりの事はよくご存知でこちらに合わせてワインと発音してくれます。ドレスデンの宮殿、ツヴィンガー(Zwinger)もこちらがツウィンガーと呼べばそれに合わせてツウィンガーと呼んでくれます。
変な所に拘らず意志の疎通を図る。この心がインターナショナル化への第一歩です。