聖火が長野にやってきた。

世界中で騒ぎを起こしながら、聖火が長野にやってきた。
図ったように中国の党大会に合せ大規模なデモ。胡錦濤狙い撃ちが見え見えである。それほどまでにチベット胡錦濤に対する積年の恨みが大きいと言う事でもある。今から20年近く前、チベット自治区共産党書記であった胡錦濤は徹底した弾圧によりチベットの解放勢力を押さえ込み、それが評価され出世街道を突き進みそして今の国家主席の地位へと登りつめたのである。
胡錦濤にしてみれば安易なチベットとの妥協は自分の過去を否定する事になる。チベットにしても積年の恨みを水に流すなんて事は絶対に出来ない。それほどまでにこじれきってしまっている。国家主席の顔を胡錦濤以外にすげ替えでもしないかぎり妥協点を探る事すら出来ないのである。
そんな内情を知ってか知らずか、チベットに同情した過激な人達が聖火リレーを妨害している。混乱を避ける為善光寺さんも出発地点を返上したそうだ。
オリンピックの精神は「政治的争いとスポーツとを切り離し、スポーツを通じてお互いの交流を図りましょう。」と言うものだが、その額面どおり事が運んだ事なんて一度もない。開催地にその影響の少ない所を選ぶ事くらいしか出来ないのである。国家としてまだひとり立ち出来ないような厄介な国を選んだのはIOC構成員である全世界の人達である。自分達が選んだ以上、少々政治的問題があっても円滑に事が運ぶよう皆が協力すべきである。妨害などもってのほかだ。妨害がある事を覚悟の上で聖火ランナーを努める人達、この人達こそ本当のスポーツマンシップを備えた人達だと思う。
しかし表面的にしか物事を捉えられない人達には困ったものである。尤も同じ事が胡錦濤自身にも言える事なのだが。
共産圏の国について共通して言える事だが、みな面子を重んじる国である。批判されると頑なになるだけである。国民も国家も大人になりきれていないのである。そんな国に「ダライ・ラマと対話を!」などと言っても返ってこじれるだけである。目下の最大目標であるオリンピックの成功に皆で協力しその威信を確かなものにさせてから、それに恥じない民主的な国家に生まれ変わるよう助言する或いは促す方が現実的である。


期待と不安で今最もヤキモキしているのは中国とその国民である。その神経を逆撫でするような事は謹んで貰いたいものである。
オリンピックのおかげでまだ辛うじてバブル経済は弾けていないが、オリンピック後にはそれが弾ける事は誰の目にも明らかである。
(10年以上に亘り年率二桁成長しているのはバブル以外のなにものでもない。国の規模が大きく低賃金の労働力がまだまだ豊富である事がそれを遅らせているが、破綻は既にあちらこちらに現れている。)
心配しなくてもバブル経済の破綻で胡錦濤は失脚する。顔が変わればチベットとの対話もスムーズに行くのである。
ブラピの映画、セブンイヤーズ・イン・チベットでもご存知のようにチベット中共に併合されたのは大戦終結後まもなくの事である。既に60年ほど経っているのである。何も今急がなくてもオリンピックが終わってから行動すれば良いのである。そう、ものには順番ってものがあるのである。