大学全入時代

今日の中日春秋から。
首都圏の私立大に昨年入学した自宅外通学者への仕送りは約9万6千円/月に上ったそうだ。それでも7年連続で減っているそうである。
定員との関係では全入時代でも家計の面からの制約は拡大していると言っている。そして結びに奨学金制度の充実を訴えていた。
家計への負担については全く同じ思いであるが、どうも言っている事に納得がいかない。なぜそうまでして首都圏へやりたいのか。ただでさえ金のかかる私立に、なぜそうまでして行かせたがるのか。
経済的に余裕がなければ止めておけば済むことである。そこまでしてどれだけの成果があるのか。こんな事を言うのは大学へ行けなかった者の僻みと取られてしまえばそれまでだが。
本当にそこだけに行きたいのなら家族もその負担を喜んで負える。しかし親の方がその大学に拘っていはしないか?家庭にその余裕が無くても本人が行きたいのなら一度就職し資金を蓄えてから自力で就学する事だってできる。かえってその方が親の援助で行くより真剣に学業に取組める筈である。本来奨学金とはそんな学生達の為にあるものである。親の見栄を補助する為のものではない。


しかし、親とは有難いものである。子供の為なら好きな事を諦めるくらい簡単な事である。世の一般的な親御さんは皆そうである。それを子供達にはおくびにも出さずじっと忍んでいる。それを子供達は解っているのだろうか。恩を着せる必要は無いが、事実は事実として知らしめるべきだと思う。それが巣立ち始めた子供との絆を保つひとつとなる。そしてその子供が親となったときには同じ思いでその子供達と接する。
無理が可能ならすれば良い。出来ないなら止めておけば良い。公的補助をどうこうなどと言う問題ではない。定員に対しては全入時代である。自宅通学可能な所を選べばよりどりみどり、どこでもOKなのである。オツムが悪けりゃ悪いなりに行ける所も引く手数多である。


「今の学力で少しでも有利な所へ。」なぞと姑息な事を考えるより、「今後自分は何を為すべきか。」を子供達に自覚するよう薦めるのが、最も重要な親の務めである。
有名校へ入っても、今後の大学再編でどう変わるか解らない。何処を出たかより何をしてきたかが問われる世の中なのである。