make it possible with canon

今朝の朝刊4頁目、めくると同時に大写しのカラフルな写真が目に飛び込む。
「あっ、ポリーだ。」つい大声を出してしまった。それに驚いたかみさんが弁当作りの手を止めてこちらを見る。
「ほら、ポリーが写ってる。」
かみさんはしげしげと見つめた後、「家の子の方が美人だった。」


紙面一面を使いキャノンのビデオカメラの宣伝である。【動画は写真の連続です。】【動画もキャノンで美しく。】という文句と一緒に凛々しいボルゾイの連続写真。その横には綺麗なお姉さんが寄り添っている。というかお姉さんの方が目立ちすぎでチョッピリ目障りだ。
それにしてもよく似ている。いやボルゾイなんて皆こんな顔つき、体型だから似ててあたりまえか。
この体型を見慣れた我が家の人間は、他所の犬を見るとつい噴出してしまうのである。「なんてブッサイクな体型なんだろう。」と。日本犬なぞはいかにも胴長短足に見えてしまい、憐れに思えてしまうのである。いや、犬種差別だと批判されてしまいそうなのでほどほどにしておくが、実際そう思えてしまうのである。私自身が典型的な胴長短足日本人なので人前ではそんなことおくびにも出せないが、ホント神様は罪作りな事をなさるものだ。
美人短命、花の命は短くて苦しき事のみ多かりき。いや苦しい事は無かっただろうと思いたい。子供達のイタズラの対象、お父さんの悪ふざけの対象となっていたが、ポリーの方も相当なお転婆娘だった。そこらじゅう齧りまくったり掘り起こしたり。庭木の肥料を穿り出して食べていたのには驚いたなあ。身体じゅうで喜びを表現し、ぴょんぴょこぴょんぴょこ飛び跳ねていたかと思ったら玄関の段差に足の指を引っ掛けて骨折したり、ホント世話の焼けるヤツだった。
迷子になって他所の家に保護されても他人から与えられるエサには殆ど口をつけなかったそうだ。迎えに行った時にはガリガリに痩せて車に飛び乗る力も無かった。我が家の家族からしかエサを食べる事ができないと知り涙が出るほどいじらしかった。家でないと生きて行く事もできないのだ。
亡くなってもう10数年が経つがついこの前のような気がする。
T哉も時々思い出したように言う。「家庭を持ったらボルゾイでも飼おうかな。」
幼い頃に一緒に過ごした犬種には特に思い入れが強いようだ。
しかしなあ、大型犬は面倒いぞ。出すクソも特別デカイからな。
キャノンさんがポリーとの思い出のひとときを可能にしてくれたのである。make it possible with canon to remember the memories with Poly.