ユニークであること

今日はお久の眼底検査。いつもどおりの時刻に起きたおかげで朝からゆったりできる。リタイヤ後は毎日こんな生活かな?こんなのも悪くはないな。そしたらまたワンちゃんでも飼って毎日朝の散歩…、いいなあ。
のんびり新聞に目を通す。


一面トップには「住基ネット合憲 プライバシー侵さず」の見出し。
少人数の住民を対象にほそぼそとそれも人手だけを頼りにサービスを行っているなら別にシステム化の必要も無いだろうが、これだけ大勢の国民を対象に今まで同様の非効率な方法でそれも人海戦ではまともなサービスなぞ出来る訳がない。
そしてサービスの対象となる住民を識別する方法が、相変わらず名前と生年月日や住所だけでは間違いが出て当然である。
システムに係わった事のある人なら、個々のものに単一の番号あるいは名称を付けて管理する事は常識である。
よく個性的な人を「あの人はユニークな人だ。」と言うことがあるが、ユニークという言葉は他の何者でもなくそれひとつしか存在しないという意味で、システム上では一般的に使われる言葉である。重複を避ける為にはユニークな番号を付ける方法が最もシンプル且つ効率的なのである。
このユニーク番号を国民ひとりひとりに割り当てれば、同姓同名かつ同生年月日でも簡単に識別できる。住所なんてものは転居によりあてにならない。
どの番号の人がいつからいつまでどの職場に勤務していたか、その番号の人がいついくらの保険料を払い込んでいたかが明確であれば、今世の中を騒がせている問題などは起こりようが無い。


こんなシンプルな事にも異を唱える人がいる。それが許される事自体、平和で民主的な日本を象徴しているようでおめでたい事でもある。しかしそんなしょうもない事で司法を煩わせる必要があるのか、私には疑問である。プライバシーの言葉の意味が解っていないのではないか?という疑問さえ湧いてくる。
誰に恥じる事もなく生きていれば、知られて困るものなぞ無い。物陰に隠れてコソコソと良からぬ事を企んでいる連中には不都合かもしれない。じゃあ反対しているのはそれら連中の手先か?
個人個人にユニーク番号を割付けられたからといって私生活を覗き見される訳ではない。それよりもっと大きな利便性が享受できるのである。(注1)
当然公務員の数も大幅に削減できる(筈)。【小さな政府で大きなサービス】を実現するには避けては通れない最初の一歩である。


(注1)
役所は平日の昼間しか開いていない。ちょっと書類を貰うのにも仕事を休んで行かなきゃならない。おまけに自分に関する情報であるのに何もかも有料ときている。そして書類を用意するのは人の手作業。カウンターの中はのんびりしたものである。PCに向かい何をやっているかと思えばWebのアダルトサイトを覗いていたりゲームをやっていたり。そんな連中を養う為に民間人は重税に喘いでいるのである。何かを問い合わせてもたらい回し。公僕という認識は一切無い。皆が皆という訳ではないが…。
そんな不愉快な所へ出かけなくても、自宅のPCから手続きすれば、一日24時間いつでも必要な書類は自宅でプリントアウトできる。当然アワーチャージの高い役人の手を介さないので無料である。それが盆も正月もなくいつでも可能となるのである。(既にこんな事は諸外国では当たり前の事。それを知らずにいる日本人って本当におめでたい。)


私も冗談では「人頭税導入の布石か。」などと言ったりするが、住基ネットと税制とは全くの別問題。イギリスもずっと以前人頭税論議が持ち上がったが圧倒的な反対多数だったとか。
ただ税の公平さにも大きく貢献できる事は確かだ。だから反対する人がいるのかもしれない。




ページを繰っていると、一頁まるごとソニーデジイチの宣伝。
【α】の名前が継承されておりミノルタの名残りが感じられる。ニコン、キャノン、フジフィルム、オリンパスは今も健在だが多くの老舗メーカーが淘汰されていった。ヤシカミノルタソニーに、ペンタックスはガラス屋に。カメラ市場から撤退したメーカーも多い。トプコンコニカ(小西六)、コーワ、ゼンザブロニカ、マミヤはまだあったかな?
そうそう小西六はDVD用レンズでは殆どのシェアを牛耳っているとか。強みを生かせる部分に特化して縁の下の力持ちとなるのが今後のメーカーの生き残り方かもしれない。
そしてソニーデジイチの売りは? モニターが本体から離れチルト、ローテートするようだ。この為いろいろなアングルから被写体を狙い、メクラ撮りではなくフレーミングが駆使できる事のようだ。広めの画角でメクラ撮り、写した物を確認して不味けりゃもう一度撮れば済む事とは思うが…。そうは言うものの一発勝負ではやはり大きな利便性と言える。
ソニーはビデオでも逸早くファインダー角度調整を遣っていた。そういったアイデアはやはりソニーらしい。
ファインダーの角度という事で、昔使っていたニコンFを思い出す。これは他メーカーの一眼レフと違いペンタプリズムが外せたのである。最大の理由はピント調整用のスクリーンを交換可能とする為だった。当時の一眼レフはマイクロプリズム方式が一般的で、上下に分かれたマイクロプリズムに映る縦の被写体を一致させるものであった。焦点が合っていないと上下で位置がずれるのである。ニコンFの場合は標準ではマイクロプリズムのスクリーンが付いて来るが、マットやら何やらいろいろなスクリーンがオプションとして用意されていた。全て報道機関などのプロの要求に応える為のものである。
そしてペンタプリズムの代わりにただのフードも用意されており、二眼レフのように上から覗く事も可能であった。ただしこれは左右だったか上下だったかが反対に映ったように思う。
後にこのペンタプリズム部分に露出計を内臓したものも製品化され、ニコンFからニコンFTNに容易にバージョンアップ出来たのである。一眼レフの草分けであるにも拘らず、他メーカーの後発機よりずっと先を見越した仕様を誇っていたのである。他メーカーは皆ニコンFを真似て製品開発を行い廉価版で良い人はそれらを、堅牢性や拡張性をとるプロはニコンF、と棲み分けが出来ていたのである。
比べて今のデジイチ、どれも似たり寄ったり。横並びで個性が有りませんねえ。昔は各社拘っていたレンズも殆ど専業メーカーからのOEM。尚更個性なぞ出しようがありませんねえ。
それほど大きくない市場で各メーカーがひしめき合い。まだまだ合従連衡、淘汰の波は止みそうにありませんねえ。
こんなユニークでない物に、それぞれユニークな製品名が付いているのも、意味が無いような気がする。