威風堂々

私はデカいものが好きだ。いや好きというより、憧れや畏れを感じると言う方が正しい。
殊に山のデカさやその量感にはいつも圧倒される。たとえ見慣れた景色であっても見るたびに息苦しいほどの威圧感を受ける。ただでさえ威圧されているのに、時としてそれ以上の衝撃を受ける事がある。季節の違い、天候の違い、光線の具合などさまざまな条件が重なると息が出来ないほどの光景に出くわす事がある。
大きなものに畏敬の念を抱くのは私に限った事ではなく、程度の差こそあれ全ての人に共通の事であるらしい。それが原始宗教へと繋がっているようだ。
身近にある御在所中尾根バットレスなどは誰でもが息を呑むほどの迫力を備えているが、私の場合誰も見向きもしないものにもそれを感じる。たとえば19号線走行中に目にする野尻や大桑辺りの藪山でさえ。身近に見るその量感が半端では無いのだ。
毎週通っている中道でもよくドキリとさせられる所がある。北谷テラスから暫く掘割の中を行くがそれが切れる所、足元は切れ落ちその向こうに大きなフェイスが立ちはだかっている。朝陽台から東に連なる富士見岩尾根の末端に位置し、それが本谷の枝沢にスパッと切れ落ちている。特に雪が降った後なぞ細かな岩の割れ目に雪が付着し、まるでタイルの目地のようである。その不定形な模様と仰ぎ見る角度、傾斜、量感は、ちっぽけな人間どもの存在なぞ気にも留めず、遥か彼方未来永劫の果てを見つめているかのようである。
まさしく巨人である。その堂々たる姿に畏れを感じずにはおれない。
そしてその威厳ある姿から【威風堂々】という言葉を連想する。同時にエルガーの同名の行進曲をも連想する。ご存知の方も多いと思うが、味の素の中華調味料【Cook Do】のTVコマーシャルで流れている曲だ。
庶民的な一家の食事風景とこの曲はどう考えても結びつかないが、スロー再生の映像はこの曲のテンポと妙に合っている。
しかし私にとってこの重厚なメロディーが連想させるのは、とてつもなく偉大なもの(人であっても自然の造形であっても)しか無いのである。
場違いな取り合わせには少々納得がいかないが、この荘厳なメロディーを多くの人々に知らしめてくれたという事で善しとするか。やはりメディアの力は偉大である。