フラジリティ

近年ロバスト制御なる言葉が市民権を得だした。
予期せぬ外乱に対しても頑強な制御系を維持させる為の新しい理論である。と同時にシステム全体の頑強性も語られるようになり、最近では生態系の頑強性についてもロバスト或いは名詞形でロバストネスという言葉が市民権を得てきた。
以下の写真の左の本がS司の本棚に有ったもの。右側がごく最近発刊された生態系についての本。





Robustness(頑強性)の対極にある言葉がFragility(脆弱性)。今朝発生したある事故から思い浮かんだ事を少々述べてみる。


今朝出社するとサーバーが死んでいた。
Netの具合が悪いだけかと思っていたが、インターネットには繋がるしメールサーバーも生きている。
基幹となるデータサーバが死んでおり仕事にならない。ローカルディスク上で出来る作業しか出来ず、他者とのデータハンドリングはメール添付である。
それより心配なのはサーバ内のデータが復旧できるかどうか。一応自分管理のものは全てローカルディスクにも持っているので復旧後コピるだけで良いが。(いや偶然昨日サーバー内の旧データをこちらにバックアップしたばかりなのだ。ホッ!)サーバーとクライアント間で手動でレイドがかかっているようなものである。
当然サーバー内のディスクもレイド仕様になっているがサーバーのハードウェアの故障ではどうにもならない。手動でディスクをコピーしてデータの復旧を図る事になるが容量も半端じゃないし気の遠くなるような話である。
仕事の効率を最適化し尽くした結果、不意の事故に足をすくわれ脆弱性に気付いた次第。
システム自体は想定できる範囲内でロバストになっていても、思わぬところでフラジリティが顔を出すものである。
システムのロバストネス(頑強性)とフラジリティ(脆弱性)との間にはトレードオフの関係が成り立ち、ロバストにすればするほど別の条件下ではフラジャイルになって行くそうである。これは法則のようなものでこの制約から逃れることは不可能らしい。フラジリティを低減させるには原始的な方法に戻るよりないのである。かといって今更前世紀的な方法に戻る事はできない。ただ今回のようにシステムがダウンした時に、たとえ効率が落ちても原始的な方法で作業が出来るように準備をしておく事が必要である。
今回のようなパターン以外にも色々な障害が考えられる。それぞれの障害に対するフラジャイルな面を洗出しその対応を検討しておく必要がある。
とかなんとか言いながら、のどもと過ぎたらきれいに忘れてしまったりして…。




生態系は永い時間をかけてよりロバストに進化してきた。人間も例外ではない。生体機能をより強固にするため、より複雑により強靭に身体を造り替えてきた。しかしそれは進化の過程で経験してきた環境や条件に合わせてきたものである。過酷な冬山で耐えうるように進化してきた訳ではない。外界からの大きな衝撃に耐えうるように進化してきた訳ではない。人の住みやすいテリトリーの中で安全に生きながらえ種の保存が継続できるように進化してきたのである。
雪崩に遭い数十分雪の中に閉じ込められただけで、あるいは執拗に殴られ続けただけで簡単に人は死んでしまう。
人の生体が絶えうる静加重は600kg(だったかな?)である。体重60kgの人が10mの落下で受ける静加重は1tである。身長の約6-7倍の高さから落ちるだけで簡単に人は死んでしまうのである。そういった外乱には著しくフラジャイルなのである。まさしく荷物等に貼るフラジャイルシール(割れたワイングラス等の絵が付いている割れ物注意のシール)が街を歩いているようなものだ。
そんな脆弱で儚いものだからこそ人の命を大切にしたい。
スキー場での初心者なんてまるで赤子のようなものである。無防備な赤ん坊だからこそ一緒に付いて行くものは細心の気配りが必要である。
身体ばかり大きくても16歳というとまだ子供である。大人ほどの持久力も耐久力も無いのである。多少気に入らない点があろうとも、「子供のやる事。」と思えば腹も立つまい。そんな子供に親方自らが暴力をふるうとは! 他の者は最上位に位置するものの真似をする。だからこそ上に立つ者は人並み以上に良識が求められるのである。

会社のサーバーダウンから人の命のフラジリティーに話が及んでしまったが、そんな儚いものだからこそ愛しく想う。