プラグマティズム 「善悪の彼岸」 

先日の日記に、田中角栄氏の評価が国内で考えられているより海外ではずっと高い旨を記した。
それを補足するかのように、昨日のNHKの番組で、日中国交回復当時の逸話が取上げられていた。
たまたま夕べは早く床に着いた為見ることができたが、本当に偶然とは面白いものである。
当時のさまざまなエピソードが紹介され、角栄氏の風評とは違った意外な面に皆さん驚かれたのではないかと思う。一般的に国内では、水戸黄門に出てくる悪代官のようなイメージを持った人が多かったのではないか。そう、拝金主義の独裁者というような。
しかし昨日の番組を見る限り、信じる事を実現する為にはあらゆる努力を惜しまず、またスタッフ達の労をねぎらい勇気付け元気付ける理想的なリーダーというイメージを持たれたのではないか。
実のところ角栄氏は人を育てるのが上手く、また有能な人達自身も角栄氏を慕い集まっていったのである。
昔聞いたエピソードを紹介しよう。
角栄氏が大蔵大臣に就任した時の話である。
初めて大蔵省に登庁した時、大蔵官僚達を集めての挨拶である。
「私は大蔵省の仕事については全くの素人で何も解らない。しかしあなた方はそうではない。今までやりたくても出来なかった事など、何でも大いにやって欲しい。全責任は私がとる。」
言い回しなどは大分違っていると思うが、こんな内容の事を言ったらしい。この一言で全大蔵官僚の人心を掌握してしまったのである。
昨日の番組内でも紹介されていたように、周りのスタッフ達に「大学出は修羅場に弱い。」なぞと言い、自らの学歴の無さを話の種にして激励したりと、人の奮起を促す天才でもあった。
思うに、企業人であった頃から周りの高学歴の人達と渡り合ってきた結果、気配りが身体の芯にまで染み付いていたのだろう。誰かが外遊するとなると何百万円の札束をポンと手渡したり、頼まれごとをされると「よっしゃ、よっしゃ。」と快く引き受けたり。こういったところが後々金権政治と批判されるようになっていったのかもしれない。
しかし根本にあるのは、敵との間にも多様性を認め、お互いにとって何が最も良い事かを突き詰める姿勢だったように思う。政敵に対しても徹底的に打ち負かすような事は避け相手の面子を保つ方法を取ったりと、その姿勢はいつも普遍であった。これはプラグマティズムそのものである。元々日本語にはプラグマティズムに対応する言葉は無い。実利主義などと訳しているものもあるが、ニュアンスとしては全く違う。単一民族で画一的な思想しか知らない日本という国にはプラグマチックな思想そのものが必要なかったのである。角栄氏は常に自分とは文化の違う高学歴高所得の人達と接している内にプラグマチックな考え方が自然に身に着いていったのではないか。今風に言うなれば、双方がWin Winの関係となるような答えを求める方法である。日中間の溝を埋めるための双方の歩み寄りはいかにもプラグマチックである。
多くの人を育て、人材が集まってくるとどうしても権力が集中してしまう。そこにお金に対する鷹揚さが重なると金権政治と批判されることもある。金権というより角栄氏は事をスムーズに運ぶ潤滑剤としか考えていなかったのだろう。余談になるが中国は賄賂社会である。国際的な批判もありよりインターナショナルになるために、今中国は昔からの文化を打ち消す為必死である。中国人は賄賂を悪とは思っていない。【誠意の証し】と思っているのである。その文化を否定する事は一朝一夕にはままならない事である。同様に角栄氏の文化でもお金は【誠意の証し】でしかなかったのではないか。だから「よっしゃ、よっしゃ。」でポンと数百万円の茶封筒なのである。
昨日の番組の終盤、ロッキード疑獄に話が及んだ時、ふと頭の中に昔読んだ本の題が浮かんだ。フリードリッヒ・ニーチェの「善悪の彼岸」である。その中の一節、氷河による浸食とその消えた後のお花畑のくだりである。
偉大な人というのは善きにつけ悪しきにつけそのマグニチュードがでかいのである。そして強大な力により、なにもかも押し潰し抉り取った後にならないと平和なお花畑は現れないのである。
かといって犯罪を是認しようとは思っていない。ただ強大な氷河もひとりの哀しい人間だったと言いたいだけである。
最後に中国の招待に応じ二度目の訪中を果たした時の映像が流れた。脳梗塞の後遺症で半身麻痺で杖を突き、真紀子さんに支えられての姿は痛々しかった。「二十年前に自分の行った事が正しかったのかどうか確認したかった。」あれほどの自信を以て行った事にも、後々まで本当に正しい事だったのかどうかを気に留めていた、と知るに及び角栄氏の心の奥底の繊細さに甚く感動したのだった。


本当かどうかさだかではありませんが、角栄氏は持ち前のプラグマチックな考え方から独自の日本の道を歩もうとしていました。金大中氏のKCIAによる拉致にしても面子より日韓両国の友好関係を優先し、騒ぎ立てる事を避けています。当時の韓国大統領朴正煕にとっては外交問題に発展せず、本当に有難かった事でしょう。
そして中東情勢においてはアメリカ追従のイスラエル支持でなくアラブ寄りに軸足を変えつつありました。日中国交正常化と同時に台湾との国交断絶をいとも簡単行った角栄氏ですから、アメリカとしては相当な脅威だった筈です。自国のひとつの州か属国とでも思っていた日本が自らの考えで自らの道を歩み始めた。この脅威の根源は角栄ひとり。角栄さえ失脚させれば…。ロッキード事件は、当時アメリカの外交、合法、非合法あわせて一手に仕切っていたヘンリー・キッシンジャーの諜略だったという説もあります。あくまでも推測でしかありませんが、それほどまでに角栄氏の手腕を周りの国々は恐れていたということです。だから海外での角栄氏の評価は日本国内とは比べものにならないくらい高いのです。