御在所の七不思議 ⑥

⑥ 中道-裏道、連絡路の不思議

当時はいつも蒼滝トンネル西側の駐車場に車を停めていた。名古屋で午後9時に待ち合わせ、それから23号線に出て桑名ICから東名阪に乗る。四日市ICで降り湯ノ山街道を行くと、いつも菰野町に入った辺りで、近鉄湯ノ山線の最終列車とすれ違う。
菰野の1号館で食料とC2H5-OHを調達していると蒼滝に着くのは11時頃。(1号館は当時でも珍しく深夜まで営業していた。御在所通いする連中にとって無くてはならない存在だったのである。)
既に蒼滝橋手前の駐車スペースは満車で、トンネル西側の駐車場しか空いていない。真っ暗な中、ラテを頼りに準備を整えでっぱつである。
トンネル内の証明は明るく暗闇に慣れた目には眩し過ぎるほどである。光源であるネオンランプは、人の色相判断を狂わせ赤いものを無彩色のように感じさせる。赤の靴紐などを茶色に見せ、一瞬「靴を間違えたか。」と錯覚させる。
トンネルを抜けた後は橋の手前から橋下へ降りて行き、北谷の右岸沿いの山道を行く。右に渕と小滝の連続を見ながら暫く登ると、束ねた角材を渡した橋に出る。この橋を渡り左岸へと移る。丁度今は大堰堤となっている辺りである。あの大堰堤の位置にこの角材の橋があったのである。ここからは左岸に付けられた山道を行き、菰野山岳会の山小屋前を通り過ぎると崖にへつるように取り付けられた鉄の橋を通る。ここを過ぎたところで現在の道と合流する。今はこの位置へ、新たに作られた鉄製の橋で右岸から左岸へ渡るようになっている。
そこからの道はもう今と同じ経路を辿るのだが、日向小屋を過ぎた辺りは狭く急な道で滑りやすく毎度の事ながらちょっぴり緊張するところだった。
藤内小屋手前の広場(木橋の手前)、北谷小屋前の不動谷の川原辺りが毎週末の宴会場であった。岳連の北谷小屋の鍵は藤内小屋で預かって貰っており、時には贅沢に北谷小屋で宴会ってこともあった。
既に12時半を過ぎておりこれから小一時間の宴会である。酔った勢いで寝てしまうのだが、皆慢性的な寝不足を抱えており、毎度の事ながら朝は8時近くまで目覚めない。二日酔いでボ〜とした頭でフラフラと藤内へ出かけて行くのである。一壁を登り上で2ndを確保しながら、隠れるようにゲロを吐くこともしばしば。と言ってもやはり下からは丸見えなのである。ひととおり日課をこなし帰る頃には辺りはもう薄暗くなっている。その薄暮の中を追われるように足早に駆け降って行くのである。
大体これが毎週のパターンであった。しかし時々山頂へ抜けそのまま中道から降る事もあった。普通は野営地にテントを置きっぱなしにしている事が多いが、夏場の暖かい頃はツェルトすら被らず野宿する事が多い。そんな時はテントの回収に戻る必要が無い。
車が蒼滝トンネルの上に停めてある為、中道で降りても大抵は連絡路から裏道へ戻っていた。という訳でいつも中道から裏道へ歩くばかりでその逆は全く無かった。


再開後も暫くは昔と同じ所に停めていたが、スカイラインの無料化により料金所跡が駐車スペースとなり、こちらに停める方が中道へ行くには便利である。以降、駐車位置はここが定位置となってしまった。それに伴い裏道へ降りた時は、この連絡路を裏道から中道へと通るようになった。
しかし変なのである。どういう訳かいつも裏道からのこの連絡路への分岐を素通りしてしまうのである。よほど気を付けていてもそれでも尚、素通りしてしまうのである。
思うにこの分岐は、私に気付かれぬようなにか不思議な妖気を発しているようなのである。こうやっていつも御在所の神様は私に意地悪をするのである。何度たぶらかされて素通りしてしまった事だろう。時として優しく見守り、時として意地悪く人をからかい、御在所の神様は遊んでいるのである。
うっかり中道への分岐を見過ごして、蒼滝まで行ってしまったという経験があるあなた! あなたも御在所の神様に気に入られ遊ばれていたに違いありません。