止まっていた時間

手元に一冊の本がある。「平岩リポート」1994年1月20日初版第1刷。ざっと目を通し直しても、いまなお全く古さを感じさせない内容だ。
バブル崩壊後の経済低迷からの脱却を目指し、細川政権が設置した経済改革研究会の報告書である。座長の平岩外四氏の名を取り、一般的には「平岩リポート」と呼ばれている。
・競争原理の導入
高齢化社会への対応
・女性地位の向上
規制緩和あるいは撤廃
・制度、基準の国際化
財政再建
・一極集中からの脱却
等々が主な内容だが、十数年経た現在もこれら諸問題は一向に進展していない。まったく何をやっていたのだろう。せいぜい郵政民営化くらいか。それとても大きな無駄と代償を払っての結果である。
まるで13年間、時間が止まっていたかのようだ。


その少し前「鄙の論理」という本が上梓されていた。当時熊本県知事だった細川護煕氏と島根県知事だった岩国哲人(てつんど)氏の共著で、共に地方自治、小さな政府による大きなサービスを謳ったものだった。
岩国氏はメリルリンチで副社長まで登りつめた人である。民間企業の常識でお役人の非常識をぶち壊している姿がとても頼もしかった。
当時はITによる業務の効率化により米企業が好況を博していた頃である。またシンガポール政府の市民サービスの手厚さが世界的にも名を馳せていた時でもある。それも人手をかけて人海戦でやっているのではない。それこそITを駆使し人手はほとんどかけず、マーガレット・サッチャーさんのいうところの小さな政府で最大限のサービスを行っているのである。
組織は自己増殖するものである。本来のサービスを忘れ、肥大化することが目的となっている某国のお役人さまにも是非見習って貰いたいものである。そんな想いでいた頃に目にしたこの「鄙の論理」は、「日本も捨てたものじゃないな。」と私に思いせしめた一冊である。
最近になって税制改革の一端として所得税の地方への直納が議論され始めた。中央集権による弊害が大きくなりすぎている現在、本来あるべき姿である地方自治に戻るには丁度良い頃ではないか。国立大への交付金地方交付税など中央が決める事自体おかしい。当然恣意性が反映されてあたりまえの事である。核廃棄物を受け入れてくれる地方へは1000億円もの援助を約束しておき、住民投票で撤回されるやいなや援助撤回である。ゴミは出した所で処理するのが世間の常識である。テメエのクソくらいテメエで処理しろ。


とは言え、平岩リポートから13年経ちいまなおこの程度の進捗ではねえ。外圧が無ければ変われない国なんですねえ。庶民の痛みなど省みる事の無い脳天気な官僚天国をぶち壊してくれるのは、結局青い目の白馬の王子さましかいないのだろうか。
平岩さん、死んでも死にきれなかったでしょうね。
それでもまあ、なんとかなるさ。後は残った人達に任せてゆっくり休んでください。ご冥福をお祈りします。