雑感

直ぐ近くで発砲事件があり警官が射殺されたというのに、こんなしょうもない事を書いていて良いのだろうか。
無駄な時間と労力を費やし逮捕したとしても、その後何年にも及ぶ裁判の後、せいぜい終身刑。日本の終身刑は本当の終身刑ではない、いつのまにかシャバに舞い戻ってくるのになぜ終身刑なぞといい加減な呼び方をするのだろう。舞い戻ればまた犯罪を犯し罪も無い人々が危険にさらされるのである。全く税金の無駄遣いである。これが平和の象徴なのだろうか。税を負担している側からすると全く腹立たしい事である。何もかも米国に倣えなぞと言う気はないが、さっさと狙撃してしまえば全て無駄なく収まるのに。人が殺されるのを待ってからしか何もしない警察が、今回は被害者となってしまった訳だが、それでも腹を括る人がいないと見えて野放し状態である。事件が起こってからでないと警察は何もしない、と言うのは周知の通りである。こんな警察なんて必要ない。警察に振り向けられる予算はどこの県でもとんでもない比率である。何もしない省庁、何もしない警察に回す予算をカットするだけで財政赤字なんてあっというまに消えてしまうのである。ああ、毎年毎年無駄ばかり。
つい長々と愚痴を言ってしまった。ここらで本題。
先週の前尾根で気になった事を少々。
みなさん判で捺したように素手で登っていた。そしてその手は真っ白。チョークを付けているらしい。そして足にはクライミングシューズ。
昔のスタイルだと手には必ず軍手。冬場はこれまた判で捺したようにハンガロテックス。指先に氷が付いてくるとそれを指の背の方にやり、指腹(指先)を使っていた。段々指が長くなってゆくのである。その手を岩に当てるように振ると指先の氷が岩に当たりゴンゴン音がするのである。
当然素手の方が指の感覚は鋭敏である。夏場なら手袋なしも良いかもしれないが、それでも素手では必ず傷まみれになる。とてもジャミングなんて出来ない。
そしてクライミングシューズ。フリクション最優先ならとても快適だろうが、冬はどうするのだろう。ソールが結構軟らかそうだったがあんなのでアブミに乗り続けられるのだろうか。運動靴では足が痛くて長い事は乗っていられなかったような気がする。今のクライミングシューズのような形でEBシューズってのが昔あった。かみさんも持っていた。あれならフリクションも効くし、ソールも固いので爪先でスタンスに立つこともできるしアブミに乗っても痛くはならない。
どうも気候の良い時の乾いた岩だけに特化しているような気がする。本来山行というのはどんなシチュエーションにでも対応する事を目的としている筈である。あのスタイルは山行の一部としての岩登りではなく、特定の好条件下でのお遊びのようなイメージである。
フリークライミングが流行った時はまさにあのスタイルだった。素手にチョーク、足には素足に近い薄手のクライミングシューズ。アクロバチックな動きでサーカスに近い。でも前尾根の通常ルートはそんな事をしなければ登れないような所ではない。山靴に手袋で充分なルートである。
手袋なしの確保にも違和感を感じた。「火傷するぜ。」と思ったがすぐ別の事が思い浮かんだ。
我々の頃は麻の撚りザイルでの常識がまだ残っていた頃であり、落ちた時の衝撃を和らげる為、ザイルは流しながら止める。と教えられていた。しかし既に皆ナイロンザイルを使っていた。経験的に、瞬間で止めてもザイルの伸び自体で衝撃が和らげられる事は解かっていた。流しながら止めるなんて職人技は必要なかったのである。
「流さず瞬間で止めるなら手袋しなくても火傷はしないか。」
そうは思っても本番ではやはり手袋は必要だ。時として1tくらいの岩を抱えたまま落ちる場合もある。落ちていく者は反射的に抱えている岩にしがみつく。1tもの岩ごと確保しなければならないのである。人の体重くらいなら瞬間で止められるだろうがそんな重いものは絶対無理。意に反してザイルは流れ続け手袋をしていても手から煙が立つのである。香ばしい焼肉の匂いとともに。
やはり今岩登りをやっている人達は山の一部としては見ていないようだ。インドアの延長としか考えていないようだ。インドアのつもりではロングルートなぞ行ける筈が無い。まして山での生活術を持たない人達では…。
27年ぶりに戻ってきたイニシエ親爺は、異邦人ばかりが行き交う所で、自らの浦島太郎ぶりに驚きを隠せないのである。