スーパースター

金曜の夜、床に付く。睡眠導入剤のスイッチオン。
「そうだった、もう金曜のこの時刻で太一君の幸せそうな顔を拝む事は出来ないのだった。」
カチャカチャとチャンネルを切り替え、タイムシェアリングで全てのチャンネルに目を通す。が、あるチャンネルでロックオン。
懐かしいメロディーに釘付け。同年代の方々も私同様に深い感慨を憶えながら釘付けになっていたに違いない。
そう、【大工さんs】である。
私が初めて【大工さんs】を知ったのは専門学校に通っていた頃である。
静寂の中から静かに流れるイントロ。続いて響き渡る荘厳なボーカル。

Long ago and oh so far away
I fell in love with you
Before the second show
Your guitar, it sounds so sweet and clear
But you're not really here
It's just the radio
Don't you remember you told me you loved me baby
You said you'd be coming back this way again baby
Baby, baby, baby, baby, oh, baby
I love you I really do

力強いカレンの歌唱力と洗練されたメロディー。
この衝撃は今でもはっきりと覚えている。
当時のアメリカのポップスは多様ではあったがやはり主流は反戦的なフォークや病めるアメリカを象徴するようなハードロックが多かった。
そんな中でカーペンターズの曲はメロディアスでいかにも健全な上流階級のポップスというイメージが強かった。
やはり人は重苦しいものより幸せな気持ちにしてくれる曲、温かみのある曲に惹かれるものである。その要求に応えてくれたのがカーペンターズであった。


まもなく就職し、友人から貰ったオーディオ用のハイブリッドICでプリメインアンプを自作。それで初めて聴いたレコードがカーペンターズの【Top of world】であった。次々とミリオンセラーをレコーディングしラジオでもカーペンターズの曲の流れない時は無かった。
しかしメロディアスには違いないが【スーパースター】の衝撃を超える程の物は無く、いつしか飽きていった。
その後暫くしてからである。カレンが拒食症で帰らぬ人となったのを知ったのは。
何があったのか詳しくは知らないが、同時期に兄リチャードもドラッグを常習するようになりその治療のため音楽活動を休止していたという。スーパースターに祀り上げられ創作活動すら犠牲にして多忙な演奏活動に没頭しすぎた結果らしい。
ドラッグにしても拒食症にしても心の病である。自己管理が出来なかった結果だと言えばそれまでだが、自分を押さえ周りに気を遣いすぎた結果のようにも思える。
やはりエンターティナーも含め芸術家はある程度の我儘を押し通さなければならないのかもしれない。
スーパースターでデビューしたスーパースターがスーパースター故の悲劇を背負ってしまったというのも憐れな事である。
それでも同時代の我々に多大な影響を与え続けたのは事実でありそれにより力づけられた多くの人がいるのも事実である。


あっ、もう8時半。
勘助ももう直ぐ終わってしまう。…先週ちらっと見たけどつまらなかった。
NHKも変わった放送局だ。先日のA・ヘップバーンや金曜のカーペンチャーズのように興味深い番組を作っているかと思えば、まったく面白くも無い風林火山を作ったり。
もう今日も見ないだろうな。若いのにあの小太りの晴信は何だ? 体型からしてミスマッチも甚だしい。