クリエイティブ・クラス 続き

留学という形で、ある地域が人々を惹きつけたように、クリエイティブ・クラスも特定の地域に集中するそうだ。
そしてクリエイティブ・クラスの人達自身にも活動する地域を選ぶ事ができる。流動性があるのである。
特定の地域に依存しているというより、活動の場がたまたまそこにあったというだけで、他に良い所があればなんのためらいもなく移動してしまうのである。その地域に固執する気は全くなく、活動そのものを第一としているのである。
暫く前にTV(だと思う)で、歌手の福山何某だったか福島何某だったかが言った言葉が思い起こされる。
「音楽活動をしたかったから東京へ出てきた。九州にその場があれば出てくる事は無かっただろう。」
どんな作品があるのか聞いたことが無いので私には解からないが、インタビューを受けるくらいだからそれなりの成功を収めているのだろう。リチャード・フロリダ教授の定義では、クリエイティブ・クラスには経済活動だけでなく芸術活動やエンターテイメントも含まれるそうである。当然この福山何某も含まれるわけである。
多くの仲間がいる所に集まりたがり、また流動性もある。なんだかお金に似てますね。誰かが言ってましたが、お金って寂しがりやなんですって。だから我家のように少ししかお金の無い貧乏な家からは出て行く一方で、お金持ちの家にどんどん集まるそうです。
クリエイティブな人は全世界で均等に生まれるのでしょうが、それがどんどんと沢山いる所へ集まって行くのですね。


このクリエイティブ・クラスと言う言葉、元々はドラッカーの謂う所の【知識労働者】(Knowledge worker)を使っていたらしいが、知識経済の講義中に飛び出した女子学生の発言から思いついたそうだ。
「私は知識経済の理論が嫌いです。(中略)私は自分をクリエイティブな人間だと思っています。」
大学で身につける知識以上に、自分が本当にやりたい事をやる事に価値があるのではないか、と言いたかったのだろうが、これこそが自分が研究している対象そのものだと気付き、クリエイティブ・クラスという言葉が生まれたそうだ。
都市経済学という切り口から世の中の動きを観察するフロリダ教授、やはり我々技術屋の成れの果てとは違い、考え方が新鮮ですなあ。


集まりたがり、流動性があるからこそクリエイティブ・クラスに魅力的な場を提供した所に大きな経済効果がもたらされる。
その争奪戦は既に始まっているのである。
良いんですかねえ、日本に来たがっている優秀な頭脳をわざわざ拒んでいても。