永遠の憧れ

夕べTVを点けたら、オードリー・ヘップバーンに関する番組をやっていた。
ファッションデザイナーの森何某さんがヘップバーンが与えたファッション界への影響について解説していた。
ヘップバーン以前のハリウッド女優は皆豊満な肉体を持ち、それに合った女性らしい曲線を強調するようなファッションが普通だった。
それらとは違った、ヘップバーンの華奢な体型に合うファッションを世界中に広めたのは、ヘップバーン自身と専属でデザインを引き受けたジバンシーとの成果であると言う。
そう言われればそうとも思える。肉感的なグラマー女優ばかりの中で、自身の弱みを逆に強みに切替えてしまった。と言えるだろう。


私がA・ヘップバーンという名を知ったのは、中学に入ってからの事だったと思う。その頃、同クラスの一部の女子は【おませ】で外国映画にも詳しかった。私自身はそんな女子達の話の中に入っていく事は無かったが、聞こえてくる話を理解する事は容易だった。
夕刊の下方、映画の宣伝欄には、「世の中にはこんな綺麗な人がいるのか?」と思うほどの美女がよく顔を出していた。まるで妖精か女神様のようだった。それが、A・ヘップバーンだった。シャレードという映画の題名とヘップバーンという名前はそれ以来私の永遠の憧れの的となった。そしてまたマイ・フェア・レディの映画の宣伝とこの世のものとは思えないほどのヘップバーンの美しさ。
映画を見る余裕なぞ無かったが夕刊の写真と女子達の会話から聞こえてくるあらすじ。貧困家庭の少年にはそれだけで充分楽しめたものだった。
私の永遠の女性像はこの時に形作られたのかもしれない。どちらかというと豊満な肉体は苦手である。スレンダーでボーイッシュな女性が好みである。(そう言えば、うちのかみさんもガリガリの痩せっぽっちだ。)
今のモデルは異常なほど痩せている。その反動で、痩せすぎモデルの締め出し運動まで起こっている。これもヘップバーンの功罪か。
ヘップバーンは好きで痩せっぽっちになった訳ではない。戦時下での成長期に充分な食が得られず、身体が受付けなくなってしまったとの事だ。(うちのかみさんも成長期に食べることが出来なかった事が原因らしい。)
豊満な肉体でない事を逆手に、男共へのセックスアピールの為の女性像から、自立した女性へと転換していったその草分けが彼女だったと森何某さんは言う。そして今は多くの女性達が自立した生活を送っている。
ただの憧れの的だけでなくウーマンリブの先導者だったのか。彼女自身は何かにつけて控えめである。控えめでありながらこれだけの影響を全世界の女性達に及ぼしていたのである。


私が初めて彼女の映画を見たのは高校の時だった。【Wait until dark】(暗くなるまで待って)、盲目の奥さんが麻薬密輸グループに巻き込まれていくサスペンスで、旦那役にはテレビでお馴染みの【Sanset 77】に出演していたエフレム・ジンバリストJr.が出ていた。
そしてヘップバーン演じる盲目の奥さんにはかつての妖精のような初々しさは無かった。美人には違いないがやはり年相応のおばさんであった。
それ以降、私のヘップバーンへの憧れは徐々に薄れていった。
晩年はUnicefに従事し多大な功績を残したという。自身も幼少期、戦争による貧困を体験しているのである。
そしていつだったかまだ60代での急逝のニュースが世界中を駆け回った。TVでヘップバーンの代表作の放映が一週間ほど続いた。
亡くなって既に10数年が経っている。それでもまだ生きておられるような気になる事がある。
スレンダーでボーイッシュな、そしてとてもチャーミングなアン王女の面影がいつでも思い浮かぶのである。