トリビューン

今朝の中日新聞によるとシカゴトリビューンが身売りするそうだ。
割と歴史のある新聞社で、設立当時はナショナリズムの急先鋒という存在だったらしいが今ではごく普通の新聞社である。シカゴを中心としたアメリカ内陸部の新聞社として大きな地位を占めている。
Netの普及による、新聞の広告収入減少のための業績低迷が原因らしい。米国の数年後を追いかけている日本の新聞社も他人事ではなかろう。
視覚的に記事を記憶している我が身としては、モニター画面から情報収集するよりも紙面からの方が馴染み易いのだが…。
いずれは紙という媒体を通す事自体が限られてくるのだろう。
新聞を発行する事を企業目的としてしまった事による失敗。とも言える。新聞発行はひとつの手段であり本来の目的は、広く一般の人々に公正な情報を迅速に提供する事。としていたならもっと早くNetを自らの手段のひとつに出来ていただろうに。
よく耳にする、米国鉄道会社の失敗談と同じことである。自分自身にも言い聞かせて行かなければならない事でもある。


トリビューンと言う言葉ですぐ頭に浮かぶのはトリビューンタワー。中世ユーロッパを思い起こさせるような装飾を施したビルである。
1920年(だったかな?)に建てられたビルなので、もうすぐ90歳の高齢ビルである。
スーパーマンことクラーク・ケントが勤めていた新聞社デイリー・プラネットはトリビューン社がモデルとなっていたのであり、このトリビューンタワーから空に飛び立ち悪人どもと戦っていたのである。
話の種にトリビューンタワーも上っておけばよかった。小売業で有名なシアーズローバックのシアーズタワーは上った事がある。この時で世界第二位の高さだったように思う。展望台からの眺めはやはり日本のものとは全く違う。これほどの高さから見下ろしても平らな大地は延々と広がり果てが無いのである。起伏の無い大地と大空とが判然としないまま霞みの中に溶けあっているのである。
この果てしない大地から、農産物、畜産物がこのシカゴに集められ、シカゴの市場から全世界に供給されているのである。シアーズタワーが無い時代はトリビューンタワーの上から私が感じたのと同じ事を人々は感じていたのだろう。
アメリカとは本当に豊かな国である。
但し食い物は不味い。マリオットのレストランの食事でさえ、私の貧乏舌でもうけつける事ができず残してしまった。
深夜空腹に耐えかねてマクドナルドへ行った。深夜に街を出歩いても全く問題が無いほど治安の良い町でもある。(セントラルはよした方が良いです。治安が悪いです。)
こんなに豊かで治安が良くても、企業間の合従連衡は日常茶飯事、ちょっとでも気を抜くとトリビューン社のように身売りの憂き目にあう。かと思えば、大半の人々が一生 生まれ育った町から一歩も出たことが無い。という国でもある。その人たちは昔ながらの生活を生涯繰り返しているのである。
不思議な国である。