徒然なるままに

今日は朝から生暖かい雨。寒いの大嫌いっ子の私でさえもこの異常さには違和感を覚える。
鬱陶しい想いを起こさせているのは天気だけではない。肉体的なけだるさも手伝っている。これは昨日のスキーのせいのようだ。あんなに軟弱なスキーでこうも疲れるものなのか。普段から箸や鉛筆より重いものを持ったことがない為、一年ぶりに使った筋肉が吃驚したのだろう。
昨日温泉で計った体重は、3日の御在所通勤時と同じ。あれから増えてはいないが減ってもいない。休みに入り一週間で2kg増。
ああ、働かなくなったらどうなるのだろう。このペースだと2kg/週、104kg/年、2年経てば2?0kgの体重になるのである。そうなるとドラム缶1本分の脂肪が身体全体に付く事となる。一番気がかりなのは、後ろに手がまわるか?ってこと。自分のケツが拭けなるかもしれないのである。「あな怖ろしいや。」
アンニュイな午後、徒然なるが儘にひねもすのたりのたりかな。


NHK大河ドラマ、今年は【風林火山】だそうだ。信玄公でなく軍師であった山本勘助に焦点を当てているらしい。
武田信玄は私が尊敬している人のひとりである。卓越したアイデアと国の統治。公共事業としての治水、土木工事など、領民を守る事が結果的に国家の存続に繋がる事を後世の我々に教えている。本末転倒の今の政治屋さんに見習って貰いたいものだ。
政治手腕の秀逸さなぞ物語としては面白くもなんともないので、大河ドラマでは軍略面だけが表に出てくるのだろう。軍師山本勘助が主人公ならなおさらの事である。
信玄が積極的に取り入れた新しいアイデア、(軍事的なものも政治的なものも含めて)これは身分などにとらわれない人材の登用から実現したものである。実力主義成果主義は今に始まった事ではない。大昔からあった事なのである。当然軍事面でのアイデアも勘助ひとりが考えた事ではない。しかし勘助を主人公とした物語がそうであったように、今回もなにもかも勘助ひとりの勲功という筋書きになるのだろう。
川中島最後の決戦、両雄相いまみえた?(どうも作り話らしいが)決戦は謡曲でも有名である。「鞭声粛々、夜河を渡る〜」という一節はどなたもご存知の事と思う。これが世に言う勘助の【啄木鳥の法】の失敗の話である。道も無い薮山を上杉軍の背後から回り込み挟撃する事自体無理な事だそうで、【啄木鳥の法】も作り話らしい。しかし信玄公がこの時、窮地に立たされた事は事実らしい。またこの戦で武田家重臣達の多くが戦死している。勘助がどういう最後だったかは解からないが甲陽軍鑑ではここで死んだ事になっている。
新しい考えを積極的に取り入れ、発案者に任せ、最後の責任は自分が取る。これぞハーバード流で謂う所のEnPowermentであり、理想的な上司の姿である。
新聞広告に載っていた勘助の写真、エライ男前である。眼帯しているので伊達政宗柳生十兵衛かと思ってしまった。勘助はもっとチビでずんぐり体型のブ男である。
甲陽軍鑑は、家臣の高坂弾正の血縁者(嫡流は途絶えている)が江戸時代に纏めた武田家の軍学書だが、弾正の記述が元になっているそうだ。この高坂弾正も名も無い若者が信玄公に取立てられ功績を積み重ねた結果、武田家重臣のひとりとなったのである。
ただこの時期の英雄は男色を好み、この好青年が今で言うイケメンであった事から信玄公の寵愛を受けていたという説もある。そうであっても実力が無ければここまで偉くはなれなかっただろうし、この頃の男色というのは性的なものではなく精神的、知性的な交流であったとも言われている。今で言う【性同一障害】、ゲイとは大分違うようである。
信玄公、女好きでもあり、男も好きであり、先進性があり人を生かして使うのも上手であり、是非ともこの人に天下統一を達成してもらいたかったなあ。信玄に育てられた逸材達は、武田家滅亡後大量に家康に召抱えられているのである。
三方ヶ原で惨敗を喫した家康は暫くの間、信玄恐怖症とでもいうようなトラウマを背負い込む事になるのだが、やはり家康も凡人ではなかった。信玄公の偉大さを認めていればこそ、その原動力となっていた人材を召抱えたのである。
今年の大河ドラマを心待ちにしている方々には、話の腰を折るような話をしてしまい済みません。
しかしね〜、大河ドラマ面白いですか? 私が面白いと思い、記憶に残っているのは子供の頃に見た【花の生涯】(井伊直弼)か長谷川一夫の【忠臣蔵】くらいです。チョット新しくて【毛利元就】。
面白く無いものしかNHKが作れなくなったのか、それとも私の好奇心が老化してしまったのか…。
ずっと前にやってた武田信玄も全くつまらな過ぎて見ませんでした。(始まる年の正月休みに文庫本で読んじゃったのがいけなかったのかな?)