在野の精神

青島幸男氏が亡くなられたそうです。
小学生の頃、クレージー・キャッツが大流行り。映画、テレビ、そこからの流行語。明けても暮れてもクレージー。文字通りのキチガイ(クレイジー)沙汰。
「気楽な稼業」なぞと自らを揶揄しながらも、あの頃のサラリーマン諸氏が戦後の高度成長を担ってきた訳です。
その脚本を一手に引き受けていたのが青島氏。その後、自らも表舞台に出るようになりマルチタレントのさきがけとなりました。丁度中学生の頃、土曜お昼に下校、帰宅すると「大人の漫画」で大笑いする祖母の声。「青島だあ!」なんて流行語もありました。
本人は常に努めて軽薄さを演じていましたが、多才であるだけでなく実際はタフなネゴシエーターだったろうと思います。
でなきゃあ四面楚歌の都議会を相手に行政を断行できる訳がありません。
こんな所にも大隈重信の【在野の精神】が生きていたのだなあとつくづく思います。
そう思うとつい現都知事と比較してしまいます。
同じように文学者でもあり政治家でもあるお二方ですが、かたや議会と対立しながらも敢えて茨の道を歩み、かたや周りの太鼓持ちに煽てあげられている裸の王様。挙句の果てに親族に便宜を図るような事までしでかしている。
青島氏は大隈重信が創設した早稲田卒。現都知事は役人ばかり輩出している国立一ツ橋卒。
なんともまあ納得がいくではありませんか。
かたや「やるべき事はやった。」と一期のみで知事を辞した人。かたや知事職に固執し三期目も出馬する気でいる人。
こんなに違いが明瞭な人達も珍しい。


私見ですが、理科系の人は頭の悪い人が多いようです。(我家は全員理科系です。)頭が悪いから単純明快な答に頼りたくなるのです。逆に文科系の人は曖昧さも含めて腹落としできる人です。答がはっきりしていなくてもどういう状況かを覚えていられる人です。当然こちらの方がより多くの情報を記憶していなければなりません。
お二方とも文科系なので頭は良いと思います。
そして私学系と国立系とでは、人間の幅が違うように思います。国立系は杓子定規で多様性が認められない人が多いのです。それに対し私学系は一見優柔不断のように見えますがどんなものでも認める事ができる、度量の大きな人が多いように思います。
あくまでも私見ですが、お二方を比較してなんとなく納得してしまいませんか?