フェルデナンド・ポルシェ

先日の日記で触れた、アウトウニオン・シルバーアロー、言わずと知れたポルシェ博士の設計である。
フェルデナンドと言うファーストネームからついドラッカーを連想する。【ペーター・F・ドラッカー】としか本などには記されていないが、このFはフェルデナンドのFなのである。
欧州は陸続きである。国境はあるが明確にラインが引かれている訳ではない。人々の生活と政治上の国境とは乖離している。毎日仕事に出かける為、国境をまたぐ事など日常茶飯事なのである。そんなところでは言葉もインターナショナルである。いろんな言葉が飛び交いそれで会話が成り立っている。生まれながらにバイリンガルなのである。
と言っても大した事ではないらしい。文法もほぼ似通っているし単語自体も非常に近い。言わば日本の方言のようなものらしい。ヨーロッパには何ヶ国もの言葉を操る語学の天才が多いが、母国語とほぼ似通った言葉ばかりなので別に天才じゃなくても社交界にいれば自然に身に付いたのだろう。
言葉の近さの例として世界史の教科書にあった名前の対比が思い浮かぶ。
カール(ドイツ語)− シャルル(フランス語)− チャールズ(英語)
フリードリッヒ(ドイツ語)−忘れた(フランス語)−フレデリック(英語)
他にもいろいろあったがきれいに忘れている。
近代では国際結婚も盛んで、フランス革命の犠牲となったマリー・アントワネットオーストリアのハプスブルグ家からフランスのブルボン家へ嫁いできたお姫様である。その母親がかの有名な女帝マリア・テレサである。
この頃ヨーロッパの富はハプスブルグ家とブルボン家に牛耳られていたのである。


この程度の事は一昔前の人達の間では常識以前の話である。それが今の高校生達、未履修が普通だとか。
今後ますますインターナショナルになって行くであろう世の中でこんな程度の予備知識も知らないままでどうやってコミニュケーションを図ろうというのだろう。歴史は今生きている人達の考え方の根幹を為すものである。民族の生い立ちを知っているからこそ、その思想にも納得できるのである。
受験の為だけの授業しか知らない若い世代、最も重要な事を悉く抜き取られ、何の役にも立たない学力しか持ち合わせていない人達、こんな状態でどうやって世界と伍して行こうって言うんでしょうねえ。