民俗学

先日TVで折口信夫が取り上げられていた。ご存知の方も多かろうと思うが、オリクチ・シノブと読む。たまたまPCの漢字変換でsinobuと入力したら候補に信夫が出てきた。さすがMS IME! この候補なぞまさに折口信夫の為だけに登録されたものと言える。
余談はさておき、折口信夫と言うと日本の民俗学の始祖である柳田國男の陰に隠れた存在のように思っていた。それが先日のTVでは解説者の評価が意外に高すぎるのである。師である柳田國男の限界を乗り越えたかのような事まで言っているのである。解説が【マレビト】などの古代信仰に移って行き、それらにあまり興味の無い私には丁度良い睡眠導入剤としての役割を全うしてくれた。よってその後どんな内容だったかは覚えていない。
私の柳田國男との出会いは中一の頃である。と言っても国語の教科書に【日本の祭り】の一部と【清光館哀史】が掲載されていただけだが。中学生の教材に柳田國男は不釣合いである。中学生というと心身ともに伸び盛りで未来志向である。ひきかえ民俗学はというと祖先が置忘れてきたものを穿り返すような学問である。もっと大人になってからでないと興味自体が持てないだろうと思う。
そうではあるが【清光館哀史】は当時の私に強烈な印象を与えた。まるでその土地の人々の息づかいが聞こえてくるかのようであった。この時の衝撃が後々私を民俗学ファンにさせたのかもしれない。就職し精神的に飢えていた一時期、いろんな本を貪るように読み漁っていた。その中に柳田國男の著作も全てあった。但し文庫本となったものだけだが。丁度その頃が山にのめり込み始めていた頃だった。
遥かな高みを目指すのも良いが、アプローチである人里を彷徨うのも楽しかった。その地形と地名との間に民俗学的な類例を見出し、まるで古代の人達の生活臭を感じているかのようであった。
民俗学フリークとして、あれだけ豊富だった知識も今では全く覚えていない。
覚えていないのはそれだけではない。あんなに通い詰めだった山のあちこちの地名、要所要所の呼び名、そして位置関係までもがごっそりと欠落してしまっているのである。子育ての約20年間のブランクが脳内の記憶の鍵を紛失させてしまったのである。
しかし何故あんなにのめりこんでいたのだろう。日々の仕事に流されて行く自分自身を見失わない為にも、日本人としての自分のルーツを探していたのかもしれない。
民俗学は大人の学問である。自分自身を振り返る事ができる年齢になって、始めて興味という下地が出来るのである。


こんな事を考えていたら、ふと中一の時の国語の先生の顔が思い浮かんだ。名前は思い出せないがかなりお歳のおばあちゃんだった。
同じく国語の教科書の【ハイジ】(そうヨハンナ・スピリの【アルプスの少女】です。)を読み終えた後の感想について、「何か心にコツンと残る物を感じられる事。それが大事なのです。」 この一言はいまだに覚えてる。版で捺したような模範解答を要求する他の先生達と違い、何事も答えはひとつではない、当人が考えた上で行き着いた答えならそれが正解だ。と教えてくれた言葉でした。
多様性が認められない今の先生方にも是非味わって貰いたい言葉です。
小学校では学年単位で、ひとりの先生が全ての授業を受け持ちます。親から離れたばかりの低学年ではこの方が良いかも知れません。しかしひとりの先生の色に染まってしまう事も確かです。それが中学になって初めて教科毎別々の先生に接する訳です。生徒にとってはいろんな先生と接しその思想、姿勢を見比べる事が可能になります。こういった事が多様性を受け入れる下地にもなっているように思います。
生徒が選ぶ先生ランキングなんてのも面白いかなあ。単に生徒に迎合するだけの先生も好位置につけるかもしれませんが生徒もバカではありません。本当に生徒達の事を思ってくれる先生を選ぶ筈です。給与面のインセンティブは無くとも先生自身のモチュベーションアップには繋がると思うのですが…。