恋は水色?

今日の中日朝刊にポール・モーリアの死去の記事。その記事の内容にちょっと違和感。
なんでも【恋は水色】を世界的にヒットさせたとか。それで有名になったかのように書かれている。
あきらかにその時代に生きた者の記事でない事は確かだ。そしてNetのニューズ(毎日新聞版)でも同様の内容。
「なんだ、どこかが配信したものをそのままコピーしているだけか。」これもまたこの業界ではごくあたりまえの事なのである。新聞記事にも記者名を明示して貰いたいものだ。そうすりゃ記者名により信用すべきか否か多少なりとも判断できるだろうに。
人生の内で最も多感な時期をこれらの人達と一緒に生きた、我々の世代が最初に連想するのはやはり【シバの女王】である。と同時にレイモン・ルフェーブルの【サバの女王】である。日本名で多少変えて表現しているがどちらも同じ曲であり、楽団員自体も、ポール・モーリアとレイモン・ルフェーブル両楽団を兼任している人が多く、素人には全く同じにしか思えなかった。当然レパートリーも多数かぶっていた。
そして【恋は水色】で連想するのはビッキーしかいない。日本語の表現が殊の外上手なこの異国の少女は、我々男共の心を鷲掴みにして行ったのである。
ビッキーはカバー曲も豊富でその中に【Those were the days】(邦題:悲しき天使)もあった。原詩と邦題との脈絡の無さに失笑は禁じ得なかったが、メロディーの美しさと原詩の哀愁に深く感銘を覚えたものだ。
【Those were the days】というと、やはり本家本元のメリー・ホプキンが頭に浮かぶ。ビートルズのアップルレコードから出されたもので、その後直ぐビートルズの解散に伴いアップルも消滅してしまう。
今手元にある、メリー・ホプキンの数枚のアルバムは全てアップルレーベルである。
就職し交通の便の悪い会社の寮で半ばタコ部屋生活。そんな中で唯一の癒しがこれらの曲だった。
賛美歌の影響が色濃いメリー・ホプキンの曲は今でも鮮明に頭の中に甦ってくる。【ロンドン通り】【The Sparrow】【Good bye】etc. etc.


話をポール・モーリアに戻して、青春の一頁一頁を演出してくれた人達が、一人また一人と亡くなって行く。
謹んでご冥福をお祈りします。