先日気付いた事ですが、うちのページの写真がごっそりと削除されていた。
当初はPhoto Highway Japanを使っていたが有料化され、またその許容量から溢れた分はあちこちの無料サイトのPhoto Albumに入れていた。その内Yahoo Photoの容量が2GBに増やされた為、Photo Highway Japanは解約、逐次Yahoo Photoに移行していった。そんな中Infoseek Photo Albumはそのままにしていた。なにしろ移行が面倒だったので。
それが9月頃削除されていたのだ。久しく開いていないInfoseekのメールを開いて見ると事前に通知メールが来ていた。やったらやりっぱなしの性格ではこまめにあちこちのメールを開くなんて先ず無理な事である。逆に言えば誰もアクセスなぞしていないのだから掲示している事自体が無駄な事である。とはいうものの纏まった部分がごっそり欠落のままというのも気が落ち着かない。
それで過去の写真を仕舞ってあるCD-Rを出してきて再度UP Loadする事にした。かみさんのノートPCで書き込んだものは新しいPCでは読めなかったりで一筋縄では行かない。仕方なくかみさんのノートPCからLAN経由でコピーした。無線LANの10Baseの遅いことときたら、厭になってしまう。
こちらのPCに取り込んでからがまた大変。大量の写真からアップするものを選びリサイズしなければならない。これがまた時間喰い虫なのである。そして今はまだ進行中なのである。
昨日もその作業に追われ、途中で時間切れ。ベッドに横臥し睡眠導入剤にテレビを点ける。リモコンでchを切替えていると算盤が目に入った。江戸時代の算学についての話である。つい引き込まれ寝るのも忘れてしまう。
江戸時代、寺子屋の普及により読み書きが庶民の間に広がり、同時に算盤塾も増えていったそうだ。算盤の普及により計算の煩わしさから開放され一層算学(数学)も発達していったとか。
単に探求する事からクイズのように算学を楽しみ、お互い問題を出し合って学力を戦わせるようになって行ったとか。果ては算学の武者修行の旅に出る者も現れ各地で問題を戦わせ、まるで道場破りのような事もあったとか。
教える事でその日の食にありつくと言った武者修行の旅であったらしい。
中には熱中するあまり身上を潰す者もあったそうだ。
そう言えばうちのT哉も高校の頃数学に凝っていてまるでクイズを楽しむかのように熱中していた。あれは江戸時代から受け継がれたDNAがそうさせたのかもしれない。
そしてかの伊能忠敬、彼もまた算学好きで隠居後天文学を研究していたとか。「地球の大きさが知りたい。」ただそれだけの為に日本地図作成を幕府に願い出たそうだ。日本地図作成は、同経度で大きく距離の離れた地点から北極星の仰角を測るための口実だったのである。それでもその副産物として、あれだけのものを作り上げてしまう所なぞ、たまげたものである。同時に当時の学問の水準の高さに感動すら覚える。
数学に限らず、本来学問とは楽しいものである。知る欲望を満たす快感、これは知恵を身に付けた人間本来の姿に根ざすものだと思う。衣食住以外に。
学問とはこうあるべきだとの感動とは裏腹に、全国の高校での必修科目の未履修騒ぎである。
「生徒の為に良かれと思って。」「保護者からの要望もあって。」…全て詭弁である。公立私立を問わず、学校管理者にとって頭にあるのは進学率向上だけなのは見え透いている。少子化が進む昨今、進学率向上を武器に生き残りを賭けざるをえない厳しい状況も解からないではないが、やはりおかしい。
生物も取らず医学部に進む人も多いそうだ。物事に感動し易い多感な時期に、医学の基礎となる生物を履修せず何が医学部だ。こんな人が医者になるものだから患者を物としか見ない医者が出来るのではないか?患者も生き物なのである。
生物で思い出した事がある。高校3年も終盤に近付いた頃、小春日和の昼休み、クラスの誰かが何を思ったのかパンの残りを練り餌にして針金で作った釣り針で校庭の池で魚釣り。丁度通りかかった生活指導のアリナミン(武田という名の生物の先生)が後ろから覗き込んだ。人の気配に振り返った瞬間、目が合った。当人は言うに及ばず周りで見ていた連中もてっきり「叱り飛ばされる!」と思ったのだが、「釣れるか〜?」と意外な言葉。
今にして思えば、受験前の追い込み時、ストレスの溜まっている生徒達への気配りもあったのだろう。アリナミンに限らず良い先生ばかりだったように思う。地学の川辺少年、古典のキューピー、リーダーのトロントロン、物理の竹屋、化学の平凡パンチ、数学の小島、…。
皆個性的で素晴らしい先生方だった。いや、倫社(中川という倫社の先生)だけは反りが合わなかったかな。
私達の頃は幸せだったんだなあ。一応進学校ではあっても、受験に関係ない教科も楽しみながら履修できた。聞いていて楽しかった。学門とは楽しいものだった。(でも楽しみ過ぎていたら私のように大学へ行けなくなります。)
うちの子供達の高校時代は既に今のように変わっていたようだ。T哉、S司共に地学も生物もいやそれ以外にも履修していない教科が多かったようだ。二人とも私立なのでよけいそれが顕著なのだろう。助成金もどんどんカットされてゆく世の中である。学校の宣伝の為有名校に合格できそうな生徒には授業料免除という特典までつけている。
(参考の為記しておきます。私立高校の宣伝で有名大学合格者数をよく謳っているが、あれは少数の人があちこち合格し人数稼ぎをしているだけ。だから進学者数はずっと少ない。)
うちのT哉も授業料免除の特典を与えてもらっておきながら実際は学校には全く貢献していない。担任にいわれK大も受けに行ったが、「県外には行かない。」と決めていた事と、お坊ちゃん学校に行けるほど我家が裕福でない事も知っていた為、学校公認の東京見物をしてきただけのようだ。結果は当然の如く撃沈。
今の学校に進学すると決めた時には担任から「あんな所で良いのか。」と言われたそうだ。T哉はカチンときたらしいが、担任にしてみればタダメシ食っておきながら有名校合格という広告宣伝に繋がらず、学校内での考課に影響したのかもしれない。
うちの連中のように大学受験にあまり執着しない人種は今回の件も覚めた目で見ていられる。
いずれにしても私学経営は大変である。私学ならまだしも県立で履修漏れとは。県立でも統廃合を視点に生き残りを模索しているのだろうか。そうするしかないのなら、高校なんて名前も変えたらどうだろう。○○大学受験予備校とでも。