排他性

昨日の御在所は終日、雨。行き交う人も無く、おかげでじっくりと思索に耽る事ができた。
思い浮かぶのは先日の日記へのお叱りのコメントである。
冗談では済まされない程に追い詰められている人達が居るのは事実である。そんな人達への配慮が出来なかったのは私の落度である。
追い詰められている人達を看過している社会も問題である。公的補助の事を言っているのではない。それ以前に排他的な態度を改めるだけで随分気が楽になる筈。なぜ苦しんでいる人達が周りに気兼ねまでしなければならないのか。
今更ながら日本社会の排他性に憤りを感じる。
米国の元大統領ロナルド・レーガンは自らがアルツハイマーに罹患している事を公表し、治療に専念する旨を米国民に伝えた。
かといってレーガン氏を社会から排除しようとした人間がひとりでもいただろうか。
レーガン氏は偉大な大統領だった。当然悪評も多いがそれは偉大さの裏返しでもある。レーガノミクスに代表される大幅な規制緩和により米国経済に大改革を加えた大統領である。クリントン時代の好況は全てレーガン氏が種を蒔いたものである。アルツハイマーはこんな人でさえも罹る病気なのである。そして歳をとると誰でもが罹っておかしくない病気なのである。
物陰に隠れて後ろ指をさしたり、悪口を言って地域社会から排除したり、同じ日本人としてこんなに恥ずかしい事はない。(村八分は私も子供の頃に経験しています。)
その反面、日本にはこんな素晴らしい言葉もあります。
「子供叱るな、来た道だ。 年寄り嗤うな、行く道だ。」
全ての人に、人事では無い事を認識して貰いたいものです。そして冗談を冗談として許せる社会にしたいものです。


蛇足ながら…
私の御在所通いは健康管理の為です。今更ステップアップなぞ考えておりません。
介助の為に人様にお支払いできるほどの資産はありません。従って子供達の厄介になる事となります。
子供達の負担を少しでも軽くする為、体力維持に努めているのです。そして行動中は思索に耽り脳の活性化を図るようにしています。
今はまだ居ない孫、曾孫達と噛合った会話が楽しみたいですから。