連休初日

明け方、雷の音に目覚める。 暫くすると雨音。 開けっ放しの二階の窓全てを閉めに行く。 既に外は明るくなりかけている。
「こりゃ、今日は(御在所通いは)パスだな。」また深いまどろみの渕に沈み込んで行く…って訳には行かなかった。激しい稲光と轟き渡る轟音の連続。 とても落ち着いて寝てなぞ居られない。 暫くすると一階で眠り込んでいたカミさんが上がってきた。自分のベッドに横たわり、何事も無いかのように眠っている。さすが太っ腹。若い頃はあんなに雷を恐がっていたのに。
次に目覚めた時は日も高く上り、湿気は多そうだが青空が出ている。 時刻は8時半を回っている。
「なんだ、良い天気じゃないか。」
さて長い夏休み、初日は御在所通いを逸してしまったがどうやって暇をつぶそうかな?
本番行くほどの元気はない。金もない。暇だけしっかりある。それにカルちゃんの調子が悪いときている。Auちゃんで遠出するのは憚られる。(なぜか昨日と同じことを言っている。)
前夜発も含めて日帰りコースで本番に近い所というと、やはり御岳、乗鞍、ロープウェイ利用の木曽駒、平瀬からの白山と限られてしまう。
中でもロープウェイでの木曽駒は必然的に中央道利用となりまるビ親爺の選択肢から外れてしまう。昔一度だけ153号線をひた走って行った事があるが、それは車も少なく一般車がしらび平まで入ることが出来た時代の話である。
乗鞍も今では一般車は畳平まで入れなくなっている。宇宙線関係者の方々とは疎遠になっており、通行許可証を借りる訳にもいかない。乗鞍高原側からの道はどうなっているのだろう? ゲートが閉鎖してあるのかな? なんにしても高山経由ではまるビ親爺の選択肢から外れる。
平瀬からの白山は春の日帰りコースである。降りをスキーでの高速ショートカットができなければ正直きつい。
となると残されているのは御岳しかない。
御岳も近頃は御岳ロープ利用やチャオスキー場のゴンドラ利用という手が有るらしい。いずれもまるビ親爺の選択肢には無い。
これ以外のクラシックルートとしてあるのが田の原からの道と濁河温泉からの道である。最近Netでは濁河からの記事を良く見かける。
私も昔一度だけ登りに使った事がある。鬱蒼とした樹林帯の中の苔むした石段に信仰の力を見せつけられた思いだった。が、個人的にはこういう暗い所は嫌いである。やはり同じ歩くなら遮るものがなく開放的で明るい所が良い。自身がネクラなので尚更その気持ちが強い。
国鉄(その頃はまだ民営化されていなかった。)利用の場合では、田の原から登り濁河へ降りる事が多かった晩秋の頃など本当に素晴らしいコースどりである。濁河から飛騨小坂までのバスの旅もなかなかスリリングで楽しめた。(後部座席ではカーブの度道路からはみ出し、下を覗くと道路が無く遥か下に川の流れが望めるのである。)
その頃は必ずと言って良いほど五の池小屋に泊っていた。王滝側には多くの山小屋があるが、御岳講の宿泊者を対象にしており通常の山小屋料金の5割増しくらいだった。ひきかえ五の池小屋は通常料金よりも若干低めに設定されており、ケチの私にはぴったりだった。たしか東海ラジオCBCがこの小屋と関係していたように思う。小柄で黒縁眼鏡をかけたビッコの兄ちゃんが小屋番をしていた。
飛騨小坂から高山線の鈍行で帰る途中、実家に寄ろうかと思いながらもつい面倒でそのまま帰宅した事がある。翌日姉からの電話で祖母の死を知った。あの時寄っていれば死なずにすんでいた事もわかり、それがいまだに心残りとなっている。既に30年も前の事ではあるがこのときの心の棘はいまだに刺さったままなのである。
それ以降濁河に降りる事もなければ濁河から登る事も無い。
ずっと後になり子供のスキーの関係で鈴蘭高原へはよく足を運んだが、飛騨小坂から小坂川沿いの道に折れると必ず祖母を思い出し胸の痛みを覚えるのである。ここも私には鬼門なのである。
となると、結局日帰りで手軽に高山の雰囲気を味わえる所は、田の原からの御岳になってしまう。御在所通いを再開してからでも遠出というと御岳のみ。それも全て田の原から。有難い事に田の原までの黒石林道ももう10年程前から無料化している。往年のスキーブームが翳りを見せ始めた頃だろうか。顧客獲得の為の方策だったのかもしれないが、一時期の売り手市場に浮かれ過ぎた結果である。通行料の500円がタダになっても一度減り始めた客足が戻る事は無かった。ともあれ現在田の原までタダで入れるのはまるビ親爺には有難い事である。


まるビ、まるビといつも自分の貧乏ぶりを自慢しているが本当にまるビなのである。年収60万円、月収にして5万円その内約半分はガソリン代として消えてゆく。尤もその半分は御在所通いに消費しており、これはまあ仕方がないかな。後の半分はカミサンの通勤及び遊びやら買い物といったものに費やされている。「そんなもんくらい自分で入れろ。」と言いたくなる。そしたら今朝、床屋へ送って貰う途中での給油で2千円くれた。「一度の給油で5千円が消えてゆく。」と言った私の言葉が嘘でない事が解かったのだろう。レギュラーが140円/L。真剣にエネルギー政策に取り組んで貰わないと生活を圧迫されるばかりである。
でもお小遣いが無くなったら無くなったで無い袖が振れなくなるだけである。ランチタイムデートで奢ってやれなくなるだけ。それでもデート中止にはならず、こんどはカミサンが奢ってくれる。なんだかんだといいながらとどのつまり我家の財布はひとつなのである。
急に要り様ができればカミサンが出してくれる。しかし可能なら年収60万円の範囲内で賄いなさいって事か。
因みに30年前の私の小遣いは、給料から不可処分所得を除いた残り全て。ざっと5万円くらいかな? そして今も5万円。30年間で全く変動なし。これだけ物価が上がっているのに。
こりゃ、卵並みの物価の優等生だな。


Post Script
御岳には地獄谷に沿った道もあったそうです。三十年近く前、有史以来噴火の記録が無かったこの休火山が爆発、その日から活火山の仲間入りしました。それが原因と言うより既にその頃には通る人も無くなっていたようです。極めつけが長野県西部地震。南面のいたるところにざっくりと山肌をえぐられた跡が残っています。王滝村でも大きな被害を出しています。
真南山麓の濁川が王滝川に出合う辺りに濁川温泉がありました。当時でも電気が無い旅館が一軒あるだけの、【山間の鄙びた宿】という表現がぴったりの温泉でした。林道から徒歩で結構な距離を下ったところにあり、温泉は温めの真っ黄色に濁った泥湯。白いタオルが一瞬にして薄茶色に染まってしまうお湯ですが、お盆を浮かべ燗酒をちびりちびりやりながらのんびりとするには最高の温泉でした。難点は湯上りに林道まで這い上がってくるのにまた一汗かいてしまう事でした。それでも一度この温泉の味を知ってしまうと事ある毎に訪れるようになってしまうのです。
その濁川温泉もこの地震の土石流に一瞬にして呑まれてしまいました。宿の主人の息子夫婦とまだ幼い子供の三人の命とともに。
その後何度となくここを通っていますが当時の面影なぞ全く残っていません。全く別の場所のようです。温泉ももう無くなってしまったようです。
こんな状態では地獄谷からの道を辿ってみようなぞと思う人はいないでしょう。
Sさんの昔話でよく登場するこの道、途中で木曽福島森林鉄道(木曽福島から王滝川沿いに三浦湖まで繋がっていた森林鉄道:遥か昔に廃止されている。)の鉄橋を辿ったりしながら付知峡まで続いていたそうです。 あのタフなSさんが凄く大変だったと言うくらいですから並みの人間では辿る事は出来ないでしょう。ただ昔の人達はこんなコースさえも踏破していたという事だけ記しておきます。