部活見学ツアー

今日の帰宅途中、地下鉄の中で女子高生達を見かけた。
Tシャツのプリントから中京高の水泳部のようだが、溌剌とした態度や爽やかな話しぶり、そしてきらきらと輝く瞳は知性的である。
普段見慣れている、飲み屋のホステスまがいの厚化粧女子高生と違い、素顔が輝いていてとても好感が持てる。
男女共学の進学校として再出発したのは9年前か。うちの長男T哉の高校受験の年と同じだった。
昔は中京商業という名で高校野球の強豪でもあり、スポーツに力を入れた男子校だった。そして体育会系の生徒以外はチンピラ予備軍の脳ミソの足りない生徒が多かったように思う。(すみません。明らかに偏見ですね。)
そんな古いイメージからすると、「進学校も板に着いたなあ。」と思う。学業にも打ち込みながら部活にも精を出す。まるっきり我々の頃の県立高と同じではないか。化粧などで誤魔化さなくても知性的な美しさがあふれておりよほど健康的だ。
爽やかさに触れながらT哉の受験生時代を思い出した。


中学3年の夏、志望校を決める為部活見学ツアーを行ったことがある。弟のS司も連れ立ち一家4人でFriendee君に乗り込み高校巡り。
子供達はその頃体操にのめり込んでいたので「体操部のある高校を!」と、いろいろ見て回った。
そのころ名古屋地区で体操の強い高校はと言うと、中京高校、名城大付属高校がトップを競い合い、ずっとレベルが落ちて名古屋学院、公立では豊明高、千種高、菊里高…とその他は烏合の衆といったところだった。
で、第一志望の県立高は体操部さえあれば良い程度で設定しておき、そこを落ちたら中京か名城と決めていた。
中京、名城とも見学時の印象がとても良かった。紹介に立ち会ってくれた先生も、そして部員である生徒達のきびきびした態度も。「軍隊みたい。」などとケチを付ける人もいるが、即社会人としても通る礼儀正しさはやはり気持ちが良い。
その後暫くして耳を疑うようなニューズが入って来た。
「中京高は次年度からの進学校化に伴い、体操部が廃部となる。」
進学校化して体操部もあればこれに越したことはない。」とほぼ決めていた時のニューズに、「仕方が無い、県立落ちたら名城にしよう。」ってなったのでした。


大体家の連中は皆こんな考え方なので、ご近所の奥さんが心配してくれてT哉にこんな事を言ってくれたそうだ。
「Tっちゃん、部活なんかで高校を決めてちゃ駄目だよ。」


今の一般的な教育ママのご意見としては極あたりまえの事だと私も思う。そしてそれが世に云う勝ち組、負け組を決する大事な所なのだろう。勝ち組に成りたいと思うのであれば当然そうすべきなのだろう。
しかし私は先天的に勝ち組にはなれない人種なのである。


人間って生まれた時点で皆不公平にできている。裕福な家庭に生まれてくる子供もいれば、赤貧の家庭に生まれてくる子もいる。
生まれながらに容姿端麗な子もいれば、バケモノのような容姿に生まれる子もいる。要するにスタートラインが違うのである。
しかし少なくとも今の世の中、人生のゴールを設定するのは本人達である。その自由が与えられている。そして機会も平等に与えられている。難しい事だが努力さえすればチャンスは自ら創り出す事ができる。
にも拘わらず、そしてスタートラインも最後尾であるにも拘わらず、私には鉄の意志が無い。自分の世界に閉じこもりそこが楽しければそれで満足なのである。確かに飢えに対する恐怖は根深いものがある。しかし食に事欠かなければ特に贅沢なものを食べたいとは思わない。衣に対する執着も無い。住も雨露が凌げればどこでも良い。何ならツェルト1枚でも生きて行ける。
それよりなにかしらの愉しみの方が大事なのである。
「仕事なんて愉しいものじゃない。そんな生易しいものではない。」なぞと宣ふ方々も世の中にはいる。しかし私には仕事にも愉しみを見出さなければ何ひとつ出来ない。使命感、達成感、満足感なんて言葉ではどうも的を射ていない。やはり愉しみが無ければ続けて行く事はできない。「仕事は愉しいものではない。」と言っている人って何が愉しくて生きているんでしょうね。趣味? 家庭?
愉しくない仕事をよく続けていられるものですね。…ちょっと脱線。
要するに、私には愉しくもないことをひたすら続けるって事が出来ないのである。なので愉しければそれで良い、それ以上何を望む必要があろうか。って事になってしまうのである。そしてこの性格は我家の構成員全員に共通しているらしいのである。
結局刹那的なのだろうか。
そんな訳で、高校生活の大きなファクターである部活も捨てがたい魅力なのである。学業の方も別に嫌いではない。いやむしろ愉しいものである。部活もやらずに高校入学時点から大学受験に的を絞ってひたすら勉学のみに集中している人ってそれはそれで素晴らしい人だとは思いますが我家の家系には合わない人種です。きっとこんな人が「仕事なんて愉しいものじゃない。」って言うんでしょうね。
別に部活の延長上に将来の職業を設定している訳ではないので目標達成(大学受験?)の邪魔、だとか効率が下がるとか思われる方々もいらっしゃる事でしょう。しかしこういったアソビが無ければ我々のような人種は生きて行けないのです。
周りを見回してみるとこの手の人種、結構沢山います。特に学生時代の友人達。皆驚く程頭の回転が速く私なぞとても付いて行けない程なのに、学業の成績に対する執着心が低く、受験テクニックなぞ無いに等しい。そして趣味が広くそれに打ち込む時間も長い。そして時々とんでもないアイデアが思い浮かぶ。
これらの人種とは全くかけ離れた人種もいます。特に頭が良い訳ではないが受験テクニックに秀でておりそれは進学塾で身に付けるものらしい。これらの人が世の中の勝ち組の大半を占めているようです。受験だけに特化してきたため人間の幅が狭く、話も面白くありません。最近大学生のレベルの低下がよく話題になりますが、こういった人種に占められた有名校では当然の事だと思います。アソビのない人間からブレークスルーは生まれません。昔は勉強などしなくても行く人は有名校に入っていました。その連中が今は受験テクニックに長けた人種にとって変わられているのです。
つい長々と書いてしまいましたが、結局T哉は第一志望の県立は落ち、部活に引かれ名城高校(負け組の仲間入り)へ行きました。大学も第一志望は落ち滑り止め私立(負け組の仲間入り)へ行きました。中学高校の頃から数学が好きで理学系に進みたかったのですが、その事もあり大学院では多少理学に近い物性を取りこの時点でも負け組の仲間入り。物性なぞで就職に繋がる訳がない。
それでも人より沢山高校生活を愉しみ、大学生活も愉しみ、大学院も愉しんだと思います。そうとでも思わなきゃあの子の親をやってられません。