蟻とキリギリス

最近よく思う。僕ってキリギリス?
浪費すると言うほどではないがやはり遊ぶ事に良くお金をつかう。
いつからこうなったのだろう。
幼い頃はそんな事できず、自分で稼ぐようになってもずっと蟻さんを勤めていた。その蟻さん時代に少しづつ遊びに手を染めるようになったが、常に収支を念頭に出費を抑えながら遊んでいた。
そんな貧乏人にぴったりなのが山であった。
当時の山道具は所得と比べると今よりずっと高価ではあった。しかし保守費が全くかからないので一度揃えてしまえば殆どお金はかからない。ランニングコストの殆どは食料、ガソリン代くらいだった。
ガソリン代も10km/Lとして頭割りしていたので車を出す側はなんらかの恩恵に与っていた。
仕事漬けで時間外手当もそこそこ有り、土日の休みも殆ど無駄遣いせずに済んでいたので、相変わらず蟻さんに励んでいた。
かみさんとの結婚もはしょれるものははしょり、ままごとのような生活をしていた。(披露宴もしなかったので友人たちが会費制で開いてくれた。)
かみさんも幼い頃から蟻さん生活を営んでいたせいか物欲はなく、必要最低限の道具だけを買い揃えていった。
そのくせ相変わらず時間外手当が多く、かみさんは月々預金の増えていく通帳を夜な夜な眺め、薄気味悪い笑みを浮かべていた。
私自身はやりくりが面倒なので給与明細なぞ見ることも無くかみさんへ右から左。結婚後約3年で500万円以上も貯め込んでいたのには私自身が驚いた。その間に車も買い替えてである。
これを元手にマンションを買い県営住宅から引越し。このマンションの周りが皆ハイソサイアティーな人種。それでかみさんも多少は着る物に気を遣うようになった。
そしてこの頃から冬場は子供達を連れ会の山小屋に籠りスキー三昧。でも相変わらずケチケチで1日券1枚で午前と午後交替で滑るというものだった。幼い子供達を放っておく訳には行かないので丁度よかった。当然食事も自炊。
その頃である。私が病気を患ったのは。死の恐怖などは全くなかった。それより2人の幼い子を抱え、どうやってかみさんが生きていけるか?その心配の方が大きく、友人達に力になってやって欲しいと頼み込んだ事を覚えている。
幸いたいしたことも無く、あれから30年が過ぎているのだから再発なんて全く考えられない。
あれ以降、事ある毎にかみさん曰く「いくら貯めたって墓場まで持って行ける訳ないんだから。」
これを境に我々はキリギリスに転向していったのである。
道具にもそこそこ投資はしたが最も多いのはやはり子供達の道具。それより多く遣ったのはやはりランニングコスト。(宿泊費、食費、リフト代、子供達の合宿費、交通費)
今では長野県のスキー場は第3日曜は子供券はタダだとか、某スキー場なぞは中学生以下はシーズン中いつでもタダ。と凄く恵まれている。もう10-15年遅く生まれていれば…なぞとつい思ってしまう。
子供達もぼちぼち自立し始めた昨今、たいした蓄えも無い事に気付く。
「ギャッ。本当にキリギリスじゃないか!働けなくなったらどうやって食べて行けば良いんだ。」
で、夫婦喧嘩の度に2人して同じ事を言い合っています。
「先に死んでやる。残って路頭に迷え!」
これを言われると必ず、「いかん、寂しいから先に死ぬな。」と言ってしまいます。
キリギリスには違い無いのですが、世の中良くしたもので、必ず蟻さんが助けてくれます。
蟻さんって誰かな?家の子供たちかな?それとも…。いずれにしても楽しみです。
でも本当の自然界では蟻さんがキリギリスを巣の中に招き入れるのも食料にする為なんですよね。
怖いですね。家の子供の食料になるのならそれもまた幸せかな?