鉈目

うろ覚えで歌詞が思い出せませんが昔こんな歌がありました。
森深く迷い辿れば、古き鉈目は導きぬ。・・・・・・迷いて行かん、小暗き道を。


北アルプスのようなメジャーな山ではペナントもはっきりしており道に迷うなんて事はありませんが、昔の藪山は今ほど山道にビーニールテープが巻きつけられている訳でもなく初めて入るところでは必ず迷っていました。
そんな中で出くわす鉈目はたとえ目的地に通じていなくても、人のいない世界から人の世界へ引き戻してくれる四次元通路のように感じられ、とても心強いものでした。


鈴鹿、鎌ヶ岳から馬の背尾根へ向う途中に明るく開けた草地があります。そこに根元の土砂が流出し中空に浮いたように見えるシロヤシオの木があります。
まるで宮崎駿の【天空の城ラピュタ】のようです。それで私は【ラピュータの木】と呼んでいます。
昨日久しぶりにここを通ったのですが、鋭利な刃物で何本もの枝が刈り掃われていました。
登山道がこの脇を通っており、かがまないと通れませんが別に苦痛ってほどでもありません。またなだらかな草地なので枝を避け少し離れて歩けば枝に引っ掛る事もありません。
やった本人は「人の為になる事をした。」とでも思っているのでしょうか。
私はエコロジストでもないので「自然破壊だ!」なぞと言う気はありませんが、厳しい環境に耐え命を繋いでいるものをいたずらに傷つけ平気でいられる事が残念です。
少しかがめば良いじゃないですか。少し離れて通れば良いじゃないですか。山を歩く体力があるのでしょう? それが苦痛なら山なんて歩かずに街中の公園でも歩いてれば良いんじゃないですか?


昔迷った時に見つけた鉈目は、疲れ切った体に鋭気をよみがえらせてくれる有難いものでした。
踏み跡も顕著な山道に意味も無く付けられた傷跡は、付けた人のすさんだ性格を想像し哀れに思います。


御在所中道にあったシロヤシオは根元から切り取られていました。毎年5-6月頃には真っ白な花を木全体に付けその鮮やかさに疲れを癒されたものです。
それと比べれば、枝だけで済んだと喜ぶべきなのでしょうかねえ。