子供は紙おむつである。アンネナプキンである。

どなたか紙おむつを水に浸けた方いらっしゃいますか。
家の子がまだ小さかった頃海辺へ行った事があります。しゃがみこみイソギンチャクで遊んでいたのですが、気が付くとお尻が凄く膨らんでおり、腰から背中にかけて泡のような白い塊がはみ出していました。
遊んでいる内に紙おむつが海水を吸い膨れ上がっていたのでした。
紙おむつ、ナプキン等に使われている水分吸収ポリマーは水を吸うと元の体積の何十倍何百倍にも膨れ上がります。スポンジ等の比では有りません。


夕べ、スキーから帰り余り物で夕食を摂っているとT哉が、
「何時に終わったの?」
「2時頃。」
「軟弱になったねえ。」
「それでも、ゴンドラ14-5回は乗った。」
「空いてたんだね、風強くなかった?」
「チョット強かったけど止らなかった。」
あそこのゴンドラが風に弱い事はT哉もお見通しである。
しかし言うに事欠いて、年寄りに向かって「軟弱になったね。」はないだろ。
T哉も今はブクブクに太っている。3月6日から早々とセントレアから北海道へスキーに行くそうだが、おまえも人事ではないのだぞ!
ふと子供達が中学の頃を思い出す。
あの頃は2人とも簡単に折れそうな小枝のように細く、足も長くメチャクチャ綺麗な体型だった。
スキーでDHワンピ姿になるとそれが際立って見えた。まるでカモシカ! いや、本物のカモシカはこんなにスリムじゃないな。
「本当に俺の子か?」と疑いたくなるようなスタイルの良さであるが、顔だけは僕にそっくり。グリコ事件の【キツネ目の男】である。
学校が終わると水泳教室、体操教室、その他いくつかの習い事が待っており、他所の子供のようにテレビやゲームに打ち興じる時間なぞ無かった。
特に水泳教室から帰ってくると、余程疲れているのか食事も喉を通らず、テーブルに頬をはり付けよだれを垂らして眠っていた。
よその子達は1級まで進むとさっさと辞めてしまうのに、家の子は要領が悪く選手育成コースなるものに入れられてしまい、1日に500mを何本もひたすら泳がされていた。
今になってT哉もよく言う。「あの頃が一番えらかった。でもあのおかげで体力も付いたし自信も付いた。」
シーズン中は学校の休みは全てスキー合宿。大会にあわせ学校を休む事もしばしば。その度にお父は担任と校長先生宛に休暇願いを書く事に。大会の日程が学校の試験と重なったりするとあれこれ算段しお父が深夜に送り迎え。


おバカな人達が【ゆとり教育】とか言って学校のカリキュラムを削減。その結果目を覆いたくなるほどの学力低下といじめの蔓延。
家と学校だけという限られた世界しか知らない子供達は特異なものを排除しようとする。鬱屈した快感を味わう事しか楽しみが無くなってしまう。
学校以外の別世界の人達と交流できると多様性が当たり前と認識する。特異なものをお互い認め合えるようになる。一種の異文化交流ですかね。水泳、体操、スキー、その他はその場所を提供してくれていたという事でしょうか。共通の目的を通して異なったコミュニティーの人達と情報交換(教えを請う)する事で謙虚になる事も覚える。
スキー合宿の時など皆勉強道具も持ち込んでいた。年の近い先輩後輩と教えられたり教えたり。学校での一方通行の学習とは全く異なった生きた勉強である。我家の【おちこぼれ】のS司でさえ人に教える事も有ったらしく、年下の後輩から「S司先輩、S司先輩。」としつこく付きまとわれる事もあったようだ。学校しか世界が無かったらS司はいまだに【おちこぼれ】だった事だろう。・・・いや、今でもまだ【おちこぼれ】だったりして。


人は皆平等に1日24時間が与えられている。無駄に使おうが有意義に使おうが時間は過ぎて行く。
しかし子供の時間をどう使わせるかを決めるのは親の特権である。子供は与えられた環境に不平不満は抱かない。それがあたりまえと思っている。
いろいろな機会を子供に与えるのは親の義務である。チャンスは多いほど良い。その中で生涯付き合っていけるものと出会えればそれに越した事は無いが、見つからなくても多様性をあたりまえの事と認識できるようになるだけでも大きなリターンを得たと言える。
かみさんがよく言う。「あんなに手間とお金をかけたのに何ひとつ物になっていない。」
僕は反論する。「あの経験は肥やし。何十年先に効いてくる。」


子供は与えてやれば何でも吸収してゆく。吸収しきれない事はない。元の容量の何十倍何百倍に膨れ上がってもまだ吸収していく。