イントロダクション

暫く前、遅い夕飯を摂りながら何気なくTVのチャンネルをガチャガチャ。(すみません。今時のTVはリモコン選曲ですから音なんてしませんね。)
な〜んも面白いものやってねーな。と一通りスキャンしていたら【ちあきなおみ】さんの特集に行きあたりました。
最近全くお見受けしなくなりましたね。お元気なのでしょうか。
芸能界の人達にありがちな気を衒った言動なぞ全く無く、いつも飄々とされていた立居振舞いが好感の持てる珍しい方でした。「箪笥にゴン」の宣伝など美人であるにも拘らず、恥じらうでも無く淡々とコミカルな役を演じており、さも彼女の人間性が現れているようで印象深かった事を思い出します。
彼女の代表曲と言えば【喝采】。今聴いても叙情感溢れる良い曲だと思うのですが、実はこれを最初にラジオで耳にした時は凄く嫌な気分になったものです。そして巷でよく聴くようになってもその気分はますますつのるばかりでした。
当時私は就職してまだ間もない頃。学校で履習したものは基礎的な理論。アプリケーションとしても真空管トランジスタの原理、或いはそれを用いた電子回路程度だったのに、職場では既にICが普通に使われており学校の遥か先を行っていたのでした。いきなりの驚きとそこから来る強迫観念に、そのギャップを埋めるべく終業後は殆ど勉強に時間を費やしていました。受験生同様ラジオをBGMに学習に没頭していた訳です。寮の先輩達は夕食後から就寝までの間、食堂でTVを観ていましたが、私にはそんな余裕なんて無く直ぐに自室に引き籠っていましたから、ネクラな奴と思われていた事でしょう。
こうやってラジオだけが友達という生活でしたからどうしても音楽を聴く事も多くなります。
当時ポールサイモンがアートガーファンクルと別れ初めて出したアルバムの中に【母と子の絆】という曲がありラジオでもよく流れていました。それが流行って暫く後に出たのが、ちあきなおみさんの【喝采】です。この【喝采】のイントロが【母と子の絆】のイントロと全く同じだったのです。ですから最初に私が思ったのは「これパクリやん。」
ちあきなおみさんがパクった訳では無いのでしょうが、「この人、洋楽って全く聴いてないのかなあ。知ってたらレコーディング前にクレーム付けてるだろうし。」と思いますよね。まあ作曲者の方に問題があるのは間違いないでしょう。
そんな訳で耳にする度に嫌悪感の方が先に感じられてなかなか好きにはなれなかった曲でもあります。
それでもTVでお見かけする彼女の人柄に接しているうち、この曲のイントロに対する嫌悪感も和らいで行きました。
あれから半世紀近く経ちました。今聞き直しても叙事詩的な歌詞につい引き込まれてしまいます。嫌悪感すら抱いたあのイントロがこの曲には無くてはならない一部とも感じます。

金木犀

今日は朝から史君のお預かり。
Mちゃんが出かけた後、暫くはおとなしくしていましたが、ミルクを飲ませようとした頃からギャン泣き。
立って抱っこでよしよしと身体を揺らしてもちっとも泣き止みません。ババと二人で交替しながら抱っこしても延々と泣き続けます。
それで抱っこしたまま庭へ出ると、見慣れない景色に興味を示しているのか大人しくなりました。
落ち着いたところで中に入るとまたギャン泣き。仕方が無いのでババと二人で縁側で日向ぼっこしながら王子さまのお相手。
麗らかな陽射しを浴びながら休んでいるとどこからともなくかぐわしい香り。そうです金木犀です。
縁側前の金木犀を注視してみると、細かな花芽がいっぱい確認できます。まだ黄緑色で開花には早過ぎます。
昨日は花芽とは確認できませんでしたから、昨日の今日でこんなにも違うものなんですね。
裏手に回りそちらの金木犀は・・・、あっ、チラホラと咲いています。まだまだ目を凝らさないと確認できないくらいの花数ですが確かに山吹色の花が開いています。そして綻びかけの蕾もいっぱい。
例年より少し遅いですが、季節を忘れずちゃんと咲いてくれるものなんですね。
微かな香りが漂う縁側で、ジジババ揃って史君を抱っこしながら日向ぼっこ。ええもんですなあ。人生順風満帆とは行きませんが、こんな一時が味わえるって本当に幸せです。

10月10日前後

毎年この頃は街中に金木犀が香っています。
でも今年は? 遅いですね、全く香って来ません。
リビング前の金木犀の様子を調べてみると、花芽かどうか解らない芽が小枝末端付近からいっぱい出かけています。
裏庭の金木犀は明らかに花芽と思しきものがかなり大きく伸びています。
早い年だと10日以前に満開となり10日には散り始めていますが、この様子では開花は来週かそれ以降にずれ込みそうです。
涼しくなり始めたのがつい先日、10月に入ってからですから秋の花も遅れているのでしょう。
それにしても遅い!
庭木の手入れは金木犀が終わってからにします。下手すると11月に入ってからになるかもしれません。それならそれで暫くのんびり出来ます。

冬モード

最近急に寒くなりました。
先週には夏蒲団(ガーゼケット)からいきなり羽毛布団。
羽毛は天然のエアコンと言われるように適度な放熱もしてくれますから早めでも暑くて堪らないって事はありません。
それが数日前くらいから本領発揮、それくらい気温が下がりました。(台風14号が通過すればまた気温も上がるそうです。)
14号、どの辺にいるのかな? 中心は遥か南海上のようで進路が南へ急旋回? 高海水温域に戻ってまた発達して逆戻りしてこないかしら? 変なコースですね。

今朝方冷え込みに堪りかねたかみさんが炬燵を出すと言います。
2階ホールに置いてあるテーブル炬燵をS司の部屋にあるデスクと入替え、デスクワーク(専ら読書かゲームです。偶に資格試験の勉強くらい。)時に足を温められるように。ホールに放り出したデスクはベランダの洗濯物を畳む為に今までのテーブル代わりに。
そして1階リビングにお炬燵と座椅子をセットするように。
敷物から準備しなければならず、まずダイソンがけと拭き掃除。炬燵も重く炬燵布団も2Fクローゼットから出さなきゃならないので大仕事です。

ふ~! やっと出来た。
炬燵が出ると一挙に冬モード。まだ10月半ばにもなってないのに。

ふと庭を見ると外は14号の大雨。シマトネリコが枝葉が伸び放題で鬱蒼としています。シラカシの天辺には50㎝ほど細い新しい幹が何本も飛び出してまるでトラガリ。台杉もボウボウ、サルスベリも花が終わり結実した種が伸び放題。
天気が良い日に手入れしなきゃいけませんねえ。
そう言えば床のワックスがけもしなきゃならないんでした。さすがに今年はケルヒャーがけの話はまだ出ていませんが、やることがいっぱい。なかなかのんびりさせて貰えません。

アルバイトを強いられる?

先日の日記(プリンタが・・・)でもつい使ってしまいましたが、この言い回しって今の人達には通じないですね。
これ、私が現役の頃(30〜40年前)に山渓などの雑誌やルートガイドブックなどで多用されていたものです。今の山渓でも使われているかどうかは知りませんが。
要は、苛酷なまで体力を消耗させられる状況を指して使われていました。他にも「全身の汗をしぼり出す。」とか。
そんな言葉に慣れてしまうとつい日常会話でも使ってしまいます。ですから山と無関係の人達には「変な言葉を使う人だなあ。」なんて思われていたかもしれません。
そんな中、嘗ての山仲間だったかみさんなんて、同じ言語を使う限られた仲間だったのかもしれません。
知らず知らず相手も解っているつもりで使っている言葉、ちょっと気を付けて見ないといけませんねえ。
プラチナ色、ペイブメント、なんて今の人達には理解出来ませんよねえ。

印象操作

政権が安部さんから菅さんに移り、暫く静かだなと思っていたらまた始まりました。
TVの昼間の時間帯なんて以前から相当ひどい物です。
なに様か知らない反日メディアの御用学者やら訳の解らない芸人さんなどが知ったかぶりしてとんでもない事を宣わっています。
無垢な脳ミソを持つ世の奥様方を洗脳したくて仕方がないようです。
幸い家のかみさんなどは、時計代わりにTVを点けているようで殆どスルー。偶にそのコメンテーターなる人が言ってる事の不整合性を衝いて「ちょっと頭おかしいんとちゃう?」なんて言ってのけていますから、我家のかみさんのまともさに一安心しています。
そんな折に面白いnet記事。全く同感です。

学術会議問題のズレた議論、「学問の自由が侵された」はなぜ無理筋か | 情報戦の裏側 | ダイヤモンド・オンライン

学者さん、特に文系の方々は左寄りの人が多く、「軍事兵器に繋がる先端科学は研究しないようにしよう。」なんてトンチンカンな事を言っています。今時の先端技術なんてものはどんな種類にせよ軍事兵器に転用できないものなんてありません。一見関係なさそうな医療に関してもそうです。武漢コロナバイラスが良い例でしょう。先端科学を研究しないんなら一体何の研究をしようって言うのでしょうね。是非ともお伺いしたいものです。
こういった事を先頭切って宣わっている人に日本学術会議も半分冒されています。それを正す為にも日本学術会議の在り方を見直すよい機会でもあります。

米国大統領選やトランプ氏のコロナ感染に関してもTVなどは批判的な事ばかり伝えています。
米国の大手メディアは殆ど全て左派系即ち民主党支持です。トランプ批判のフェイクニュースばかり捏造しています。日本の朝日、毎日それに東京新聞と同じですね。そのフェイクニュースを丸ごと日本でも流していますから、何も知らない人達は「トランプはとんでもない奴だ。」と信じ込んでいるようです。4年前の大統領選を思い返してみて下さい。メディアは一方的にトランプは非常識なヤツで大統領選も不利だと喧伝していましたが、蓋を開ければトランプ氏が勝ちました。それだけアメリカ国民は反トランプのメディアに騙されず冷静に見ていたって事でしょう。

そうそう、我家はとうとう10月から中日新聞止めました。ボケ防止の為の新聞は無くなりましたが、今はTVがその代役を担ってくれています。

神無月のころ

いよいよ10月。
昨日3日は御在所通い。8月から準Weekly復活で身体も徐々に慣れつつあります。
そこで思う事、身体は使い続けてこそ健康が保たれるものなのですねえ。筋力の維持増強のみならず食欲も増しそれが健康維持促進へと繋がります。人間も動物であり必然的に食べてこそ生きながらえる事ができます。厭世的な宗教人とは違い、食欲も含めた煩悩に適度に支配され続ける事こそが本来の人の姿かと思います。そう、俗っぽくある事が人本来の姿です。食べる為に手間暇かけたものを動物の食害から守るのも当然の事でしょう。

この日記でもよく兼好法師徒然草を引用させて頂いておりますが、その中に標題の一節があります。
俗世から隔絶された鄙びた里にある庵に行き当たり、その趣に感銘を受けていたところ、その奥に蜜柑がいっぱい実った木がありそれの周りに厳重な防護柵が張り巡らされていた。その俗っぽさに一気に興醒めし、見なければ良かったと思った。
兼好法師の侘び寂びはその当時の世相感や美学に沿ったものなのでしょう。
今の時代、精神性は退化しているのかも知れませんが、近代的な生理学の知識を得た者の立場からすると、興醒めと言うより微笑ましく感じてしまいます。
そんな事を思い浮かべながらもいよいよ神無月。霜月、師走が過ぎればまた新たな年を迎えます。
日々平穏な中、世の流れを見つめつつ、適度な食欲を満足させながらセルフメディケーションに努め体力を維持して行こうと思います。